中世から近世へ<br> 羽柴家崩壊―茶々と片桐且元の懊悩

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中世から近世へ
羽柴家崩壊―茶々と片桐且元の懊悩

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  • サイズ B6判/ページ数 278p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784582477337
  • NDC分類 288.3
  • Cコード C0021

出版社内容情報

片桐且元宛の茶々の書状群。関ヶ原後の羽柴家の立場、新たな「天下人」家康との関係、大坂の陣に至る羽柴家内部の抗争について。

黒田 基樹[クロダ モトキ]
著・文・その他

内容説明

こんな茶々は見たくなかった―。想いは一つだった家長と家臣。羽柴(豊臣)家存続の願いは、どこですれ違ったのか。

目次

第1章 関ヶ原合戦以前の茶々と且元
第2章 関ヶ原合戦後の茶々・秀頼の立場―慶長五年九月十五日(関ヶ原合戦)~慶長六年三月(家康、伏見城を政権本拠とする)
第3章 且元を頼りにする茶々―慶長六年五月(家康、京都に後陽成天皇行幸を迎える新屋形造営を計画)~慶長十九年三月(秀忠、右大臣に就任。従一位に叙任)
第4章 茶々・秀頼と且元の対立―慶長十九年九月(方広寺鐘銘問題、発生直後)
第5章 茶々・秀頼から且元への説得―慶長十九年九月二十五日(茶々・秀頼、且元に出仕をうながす)~九月二十七日(茶々、且元に処罰を下す)
第6章 茶々・秀頼と且元の決裂

著者等紹介

黒田基樹[クロダモトキ]
1965年東京都生まれ。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。博士(日本史学)。専門は日本中世史。現在、駿河台大学法学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

鉄之助

181
あとがきの、「歴史は人間が作るのだ」、単なる史実でなく人間にスポットを当てて「羽柴家崩壊」が迫ってくるかと、期待して読んだ。しかし、豊臣政権を支えた重要人物かもしれないが、片桐且元はいかにも地味。読んでいても、細かさばかりが気になって、入り込めなかった。2025/08/04

kokada_jnet

76
「豊臣家」という表現はなく、全般的に「羽柴家」と書かれている。1614年、家康と交渉していた羽柴家家老の片桐且元と、茶々・秀頼との書簡をもとにして。彼ら3名の関係を描く。織田家の親類縁者が、こうもたくさん、大阪城内にいたとは知らなかった。2022/10/15

サケ太

29
何故羽柴家は滅んだのか。徳川家康の行動。離れた家老、家臣。羽柴家を支える片桐且元。それに頼っていた茶々や秀頼。崩壊の中で、人物が見えてくるのが面白かった。家臣たちを纏めきれなかった秀頼らは、大坂の陣でも露呈するが、経験の足りなさ故に当主としての実力を発揮できていなかったのか。無論、且元側にも問題はあった。後世の人間からの視点から見ると、回避出来たのではないかと考えてしまうが、『歴史とはその場その場の対応の集合であり、その時に大事にしていたことへの反応の集合と言っていいものであった』という言葉が刺さる。2020/01/19

ようはん

21
関ヶ原の戦い後、幼い秀頼に代わり実質的に羽柴(豊臣)家のトップとなった茶々であるが五奉行らの多くの人材を失い自身も政治経験の無い身で戦後の変化に対応しなければならず鬱とも言える状態にまで追い込まれていたのには同情したくなる。その中で唯一残った家老として家中の財政や外交に尽力していたのが片桐且元であり、茶々も強い信頼を寄せていた。しかし羽柴家臣による内部抗争や羽柴家の方向性のすれ違いにより決裂する結末になるのは茶々や秀頼の統制力の弱さがあったとはいえやるせない。2023/07/04

Ezo Takachin

15
方広寺鐘銘問題に端を発し、大坂の陣に至るまでの羽柴家内における茶々と片桐且元の書簡をもとに動きを追ったもの。且元は関ヶ原以降では筆頭家臣であったが、それ以外に政治をまともにできる人材がいなかった。織田有楽にしろ大野治長にしろ、羽柴家を代表する茶々、秀頼には政治経験が無いに等しい。家康が老獪に滅亡へ追い込んだという見方が多いが、実際は時代が変わっても秀吉時代のプライドからか、徳川幕府への対応を見誤ったと言うしかない。且元と治長の権力争いの結果が悪い方向へ行ってしまったとも言える。2023/05/05

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