内容説明
幻の責め絵・縛り写真を発掘!六十年ぶりに公開する。“責めの美学”を切々と綴った手紙。
目次
晴雨秘稿―吊り責めを撮る
凄惨写真帖―晴雨・撮影之記録
十二ヵ月行事奇態刑罰図譜
責め絵秘帖―絵師晴雨・妖色浮世草紙
晴雨秘稿―責められる女の表情
晴雨からの手紙―責めの美学への執念をこめ写真家・川口氏へ宛てた書簡12通
著者等紹介
伊藤晴雨[イトウセイウ]
明治15年3月3日を以て浅草金龍山下瓦町に生る。父貞治郎、業、彫金師。家貧く小学校中途退学。十三歳にして丁稚小僧にやらる。廿四歳、主家を飛び出し画家たらんとして放浪生活を為す。光琳派、野沢堤雨に師事す。廿六歳、東京日本橋区蛎殻町の毎夕新聞に入り、月給九円を貰う。廿八歳、東京毎日新聞社、読売新聞社に入り挿絵と三面記事を担当す。学歴なきを以て、しばしば同人の侮を受く。兼ねて三十間堀所在やまと新聞社の挿絵主任となる。新聞社の内訌に愛想を尽かして新聞社を退く。後、松竹合名社に聘せられ新派の絵看板、番附等を描く。劇界内部の真相を知り、又ここを退く。大正地震火災の為生活豊ならず。新国劇沢田正二郎に拾わる。沢田死後新国劇を退き曽我廼家五郎一座の顧問となる。後一切の劇界と関係を絶ち市村羽左衛門に絵画を教え傍ら江戸趣味を中心としたる著述に没頭して今日に至る。昭和35年、挿絵画家の功により「出版美術連盟賞」を受賞。翌36年1月28日、死去(享年七十八歳)
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感想・レビュー
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