出版社内容情報
2022年10月1日、地平線の下へ静かに消えて行ったプロレス界の太陽。
だが、賛否巻き起し続けたその闘う人生は、今なお、夜空に瞬く「闘魂の星座」として人々の記憶に深く刻まれている。
本号では、この不世出のレスラーについて、縁の人々が語る珠玉のインタビューを多数掲載(再録を含む)。また、猪木自身が語った師・力道山、1・4ドーム興行、ローラン・ボック戦にまつわる3本の生前インタビューもアンコール掲載している。
アントニオ猪木が築き上げた昭和プロレスを追いかけ続けた本誌の「燃える闘魂追悼号」がここに――。
【闘魂追悼インタビュー名言抜粋】
武藤敬司
「これはなんとなく俺が感じることなんだけど、レスラー武藤敬司っていうのは、若い頃から猪木さんに認められてたよ。スペースローンウルフのあたりから、地方の試合ではいつもタッグマッチで俺が猪木さんの隣にいて、相手はだいたい外国人」
藤原喜明
「初めて会った猪木さんは、カッコよかったなあ。当時29歳で、たしか茶色のブーツを履いて、コールテンの茶色のズボンに茶色っぽいシャツでな」
「『猪木寛至』に戻りたい瞬間もあったんだろうね。だから、気を使わないでいい俺をよく誘ってくれたんじゃないかな」
藤波辰爾
「猪木さん自身、俺に対しては常に隙がなかったね。それに対して、『なんで俺にだけ、こんな意地悪をしてくるんだろう?』と当時は思ったこともあったけど、逆に考えれば幸せですよ。俺に対してだけ、いつも以上に厳しい、隙のないアントニオ猪木で来てくれたわけだからね」
前田日明
「(83年5・27高松での唯一のシングルマッチで)思い切ったことがいろいろできて、猪木さんからの返りも強いんだろうなと思ってたら、パッと組んだ瞬間にもうなんというかね、自分のような『激しいプロレス=痛くてもいい試合』と思っている人間にとってはめちゃくちゃ物足りないんですよ」
タイガー戸口
「猪木さんのほうにケチつけるわけじゃないけど、あの人は自分が強く見えることしかしないから。だから俺はあまり猪木さんのプロレスが好きじゃなかった」
新間寿
「(アリ側から訴えられた裁判の取り下げが決まり)『本当か! 新間!』と猪木さんが私に抱き着き、倍賞(美津子)さんもその輪に加わって、3人で抱き合って、涙、涙ですよ」
「(S小林戦後)後ろの席の窓がスーッと開いて、『新間、ありがとう!』と、猪木さんの手が伸びてきた。その手をギュッと握ったらもう、感無量で、実現までの苦労なんてすっ飛んだよ」
上井文彦
「猪木さんが福岡ドームでムタとやったでしょ。あのとき、試合後に『上井、絶対に猪木さんの控室に行くなよ』って言われた。メインで敬司にいいように試合をつくられて『猪木さんが控室で荒れているから絶対に入るな』ってことでね」
玉袋筋太郎
「(TPGは)猪木さんの感覚が、1歩じゃなくて、5歩、10歩ぐらい早かったんだろうな。企画が動き出した頃はさ、俺もたけし信者であり、猪木信者という二重の信者だったから、『すげえことが起こるぞ!』って期待もあったんだけどね」