出版社内容情報
著者は立命館大学の哲学講師(当時)。06年4月、自死を遂げるが、そこには一冊分の
完成原稿が残されていた。自殺の意味と理由、方法、哲学的背景、そして決行日に向けての
心理分析と行動録…淡々と描かれる「積極的な死の受容」の記録がここに。
内容説明
人生の果実は充分味わった。65歳の春。晴朗で健全で、そして平常心で決行されたひとつの自死。老いと死へと歩む私たちの必読書。
目次
1章 三島由紀夫、伊丹十三、ソクラテス、それぞれの不可解
2章 なぜ彼らは死んだのか?
3章 「未練」と「苦痛」と「恐怖」
4章 死の能動的受容と受動的受容
5章 自然死と事故死と人工死
6章 武士道と老人道
7章 弊害について
8章 キューブラー・ロス―キリスト教徒の苦境
9章 補助的考察
10章 雑感と日常
著者等紹介
須原一秀[スハラカズヒデ]
1940年、大阪生まれ。社会思想研究家。2006年4月、自身の哲学的事業として自死を遂げる。享年65歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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こばまり
55
結局、己の美学を貫いた生き方に他ならないと思う。となると、本書で繰り返し代弁されるソクラテス、三島由紀夫、伊丹十三の死も納得がゆく。自らの哲学的事業を完遂した筆者は天晴れだが、身勝手と言えば身勝手。私にはまだそのような恬淡とした度胸はない。2022/02/13
どんぐり
46
須原一秀、享年65歳。この本を遺して「老化」と「自然死」を嫌って自死した。人生を肯定したまま、しかも非常にわかりやすい理由によって決行。この本で、著者は「現代人にとって、死にたくなったときや、死なねばならなくなったとき読みたくなる本を書きたかった」と記している。僕は読みたい本がまだまだいっぱいあるので、当分は死にたくないし、死を決意する理由や実行する勇気も持ち合わせていない。故に、この本を読んでも何ら益になるものはなかった。自死の本を書いて決行する人がいたと記憶にとどめておこう。2014/07/15
nbhd
21
もう楽しく生きたから、これよりもっと生き続けても、あとは身体も衰えるだけだし、苦しくなる病気もあるし、辛いことしかないわけだから、いまこの時点で、きれいさっぱり元気なままで死んでしまったほうが、それはそれで正しいんじゃないか、たとえば、ソクラテスもあの時点で毒を飲んだわけだし、三島由紀夫もテンション高いままああいうふうになれたわけだし、伊丹十三もそういえばそうだったよね、で、たいせつなのは、私がいまこういうふうに考えているっていうことの密度だね、この密度、だからこれを書き終わったら死のうと思うんだ的な本。2015/03/16
kera1019
14
「日常的常識と日常的感覚を持っている人々に日常的立場から日常言葉で訴える凡庸なメッセージである。」という最初の言葉通り、重々しくもなく、感情に訴える訳でもなく、眈々と語られる「自分らしさと自尊心と主体性」の維持の為の死の訴えと著者の自死決行とが一つの哲学的プロジェクトとして死の受容について考えさせられました。自らの主張を証明する為に死んでいく必要があったのか?もし死なずに残された時間はどうやったんか?肯定も否定も出来ません。ホンマ、難しいと思う…2014/06/21
犬養三千代
11
疲れる本。さらりと書いてるのだけど「死」に向かっている心情が辛い。あとがきで息子さんが書いている内容でほっとしたかなぁ。2022/12/01