美術は宗教を超えるか

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美術は宗教を超えるか

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  • サイズ 46判/ページ数 224p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784569849447
  • NDC分類 702.3
  • Cコード C0070

出版社内容情報

聖画に神は宿るのか――。西洋美術作品はもともと「読む聖書」として普及された。その後、偶像崇拝が禁止される歴史がある一方で、美術作品として広く鑑賞されるものに変わった面もある。作品を理解することは信仰や祈りに通じるだろうか。美術と宗教のあいだにある本質を歴史と信仰から探究する対談。49作品をカラー掲載。

宗教は信仰する人にとって絶対的なものであり、美術よりも強力だといえるが、言葉によらない美術は個々の宗教を超えた普遍性を持っており、より広く開かれている。美術は誰にでも親しめるものだが、それを支えているのが宗教である。(はじめに 宮下規久朗)より

イコンそのものを崇拝する、聖書のテキスト、あるいはそこから派生した理論的に精緻な神学を崇拝することは、キリスト教が厳しく禁じる偶像崇拝だ。美術や神学を通して、その背後に確実に存在する神を想うことが、キリスト教的に正しいアプローチなのだ。(おわりに 佐藤優)より

内容説明

「目に見えないもの」と「言葉にできないもの」キリスト教理解で分かる教養としての西洋美術。カラー49作品を掲載。

目次

序章 なぜ、いまルネサンスなのか
第1章 「目に見えないもの」を見る
第2章 土着化したマリア信仰
第3章 破壊されるイコン
第4章 キリスト教絵画の見方、考え方
第5章 美術鑑賞は宗教行為である

著者等紹介

宮下規久朗[ミヤシタキクロウ]
美術史家。神戸大学大学院人文学研究科教授。1963年、愛知県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院修了。兵庫県立近代美術館、東京都現代美術館学芸員、神戸大学文学部助教授を経て、現職。イタリアの画家カラヴァッジョを中心に、16世紀のカトリック改革期から17世紀のバロックにいたるイタリア美術を研究。また、美術における宗教や権力、死や性といった観点から、広く古今東西の美術史を考察している。著書に『カラヴァッジョ―聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞受賞)など多数

佐藤優[サトウマサル]
作家。元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館に勤務した後、本省国際情報局分析第一課において、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で東京地検特捜部に逮捕され、2005年に執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年に最高裁で有罪が確定し、外務省を失職。2013年に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。2005年に発表した『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。2006年に『自壊する帝国』(新潮社)で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞、2020年に菊池寛賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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アキ

101
宮下規久朗と佐藤 優はお二人ともキリスト教徒であり、主に西洋美術とキリスト教の関係についての対談である。宮下氏のキリスト教絵画の解説を、佐藤氏が補足するので読みやすい。美術の始まりは「目に見えないものを視覚化すること」だとすると、イコンとはキリストの痕跡であり、神を崇拝するための窓である。カトリックが聖母を重視するのは、日本におけるキリスト教の普及のように、土地の信仰との土着化に有用だったからである。美術を通して目に見えない神を見ようとするのなら、美術こそ宗教であり、宗教以上の効用もあるのではないか。2021/12/27

trazom

92
博覧強記で饒舌の佐藤優さんが聞き手に回るほど、宮下先生の見識が傑出している。「偶像(idol)」と「聖像(icon)」の違いを定義し、聖像は「神を見るための窓」だとする。ルネサンス、宗教改革、イコノクラスムなどを振り返りながら論じられる偶像崇拝と美術との関係は面白いが、二人して「美術は宗教を超える」と意気投合する終着点は少し安直な感じがする。新鮮だったのは「プロテスタントが唯一絶対とする聖書主義も、実は「テキスト」を崇拝するという意味で偶像崇拝」だという佐藤さんの指摘。「聖書は書かれたイコン」なのか…。2021/08/18

あーびん

26
もともとキリスト教では偶像崇拝を禁止していたが、イコンはあくまで「窓」であり「窓を通して神に祈る」という認識で偶像崇敬を正当化した。(ウィンドウズを開発したビル・ゲイツはカトリック、画像=アイコン。とても宗教的)また、正教会では聖書をあまり読まない代わりに、物体としての聖書やイコンを「聖なるもの」として崇敬する。これは仏像や仏画からの連想で神の絵それ自体を「神」と考える日本の踏み絵と共通する印象で興味深い。イコノクラスムにおけるクラーナハとデューラーの対比が面白い。2021/07/02

gtn

23
佐藤氏は宗教の土着化を肯定しているが、中には踏み絵のように、本来イコンに過ぎないものを神格化する例もある。郷に入れば郷に従えではないが、ある程度習俗に溶け込むことには賛成。だが、度が過ぎれば民衆救済という原点を見失う危険がある。2021/07/23

umeko

15
美術と宗教は密接に関係しており、宗教が美術に影響を与えていると思っていた。「美術鑑賞は宗教行為」は、これからの美術鑑賞がこれまでとは一線を画したものになるくらい、興味深く読んだ。2021/07/31

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