玉砕の島ペリリュー―生還兵34人の証言

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玉砕の島ペリリュー―生還兵34人の証言

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  • サイズ B6判/ページ数 387p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784569841045
  • NDC分類 916
  • Cコード C0021

出版社内容情報

太平洋戦争、最大の激戦といわれるペリリュー島の戦い。生還兵34人の貴重な証言を織り交ぜながら綴る戦いの真実。好評書の復刊。

平塚 柾緒[ヒラツカ マサオ]
著・文・その他

内容説明

昭和十九年(一九四四)九月十五日、ペリリュー島の日本軍守備隊(総兵力九八三八名)は、延べ四万二〇〇〇の米軍の強襲を受け、文字どおりの死闘を開始した。戦いの帰趨は、七十四日後の十一月二十四日に日本軍守備隊長の自決をもって決するが、実は、戦いはその後もつづいていたのである。戦後の昭和二十二年(一九四七)四月、ペリリュー島のジャングルや洞窟の中から武装した三四名の日本兵が、米軍と家族の必死の救出作戦に応じて“投降”してきたのである。本書は、この三四人の証言をもとに、ペリリュー島における日米の死闘から奇跡の生還までを克明に描いたものである。

目次

序章 五十年目の玉砕地―ペリリュー島と生還兵たち
第1章 死出の旅―極寒の満州から赤道直下のパラオへ
第2章 オレンジビーチの死闘―生還兵が証言する水際の攻防戦
第3章 敵前逆上陸―歩兵第十五連隊第二大隊の死地奪還作戦
第4章 玉砕―暗号電文が伝えるペリリュー地区隊の最期
第5章 敗残の洞窟生活―米軍占領下の孤島で生きていた日本兵
第6章 奇跡の投降―昭和二十二年四月、日本兵三四名投降
終章 祖国―祖国日本に翻弄された三四人の戦後

著者等紹介

平塚柾緒[ヒラツカマサオ]
1937年、茨城県生まれ。出版社勤務後、独立して取材・執筆グループ「太平洋戦争研究会」を主宰し、数多くの元軍人らに人材を続けてきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

かおりんご

25
歴史。ペリリューが激戦地であったことは知っていましたが、34人もの生存者がいたことは知らなかったので新鮮でした。一番切なかったのは、最初に投降しようとした人が殺されたこと。頭では分かっていても、強固に投降に反対した人が結果的に生き延びて、ちょっとのタイミングで投降を推し進めた人が殺されたのは、なんともやりきれない気持ちになります。殺めてしまった人は、恐らく悔いに悔いた人生を送られたとは思いますが。『生きて虜囚の辱しめを受けず』は、本当に恐ろしい洗脳です。2018/11/26

templecity

10
ペリリュー島守備隊士官の中川大佐の記録。父親は西南戦争で初めて皇軍に負けた立場となり、どこかで無念を晴らそうという気持ちが、その子供である中川に届いたか。その後勉学に励み陸軍士官学校卒で軍人の道を選び満州守備隊に赴く。日本軍では1日でも早く入隊したものとの差は厳格で新兵いじめが常態化していたが、中川はそれを厳しく禁じた。それまでバンザイ攻撃で最後玉砕をするのが当たり前だと思っていた米軍に対して粘り強く敵を引き付けて攻撃する采配で米軍が最も消耗する戦いとなった。(続きあり)2019/10/10

舟江

9
私の叔父も少尉として、従軍していた。戦後、パラオにいて双眼鏡で様子を見ていた方が、亡くなった方々のお宅を訪問され説明していた記憶があるが、34人もの方が生きていたとは、初めて知った。これで、様子が分かったので、より詳しいものを読んでみたい。2019/01/11

田中峰和

7
「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は、敗戦後2年も経とうというのに34人の兵士を洞窟に閉じこもらせた。彼らとの交戦によって存在を知った米軍は、彼らの投降を促した。だが、投降を主張する一人が背後から射殺されると、敗戦を信じる者も怖くて出ていけない。唯一脱走して投降した土田上等兵の協力で、潜伏兵の名を特定し家族に書かせた手紙を読み上げても彼らは無反応。1カ月に及ぶ澄川少将の説得が功を奏してようやく壕から出てくるが、軍人精神の強固な陸軍軍曹は頑として投稿に反対する。己の命を懸けて説得にあたった少将に感動した。2018/11/08

今庄和恵@マチカドホケン室コネクトロン

6
玉砕までの激闘ではなく、生きて帰還した34名の物語なのだな、ペリリューとは。2019/03/03

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