出版社内容情報
世界のホンダを育て上げた男の哲学とは。
生涯あまり表舞台に立たず、本田宗一郎とともに、本田技研工業を「世界のホンダ」と呼ばれるまでに育てた氏の経営に対する思いとは。
小さな町工場を二人三脚で世界的な企業に育て上げた本田宗一郎と藤沢武夫。本田宗一郎はその類い希な発想力と技術力で製品の開発に情熱を傾け、藤沢武夫は本田宗一郎が開発に没頭できるよう、経営全般を指揮したことは有名。すべてを知っていれば、いざというとき銀行も正確な判断をしてくれるとの思いから、取引銀行に対して良いことも悪いことも隠さず話した、などのエピソードを交え、自らのことばで本田技研工業について、仕事について、経営についてを語った同名書を復刊。誠心誠意をモットーに、愚直な経営を貫いた経営者は、何を考え、どんな思いで行動してきたのか。100年に一度の不況といわれる現代に、改めて経営とは何かを語りかける。
●藤沢武夫さんのこと ……上野一郎
●第一章 本田宗一郎との出会い
●第二章 スーパーカブ誕生 そして世界へ
●第三章 学んだこと、思うこと
内容説明
町工場から「世界のホンダ」へ本田宗一郎とともにホンダを育てた男の経営道。
目次
第1章 本田宗一郎との出会い(事業を興すときは;本田宗一郎との出会い;古ぼけた製図台;五万五千軒の自転車屋;救世主“カブ”の出現;資本金六千万、設備投資十五億;先端企業を襲う苦境;銀行とつき合う法;バルトークの音楽のように;会社というよりはむしろ道場;給与体系を教わる;労働組合の結成;一生に一度の団体交渉;企業はアートである;技術のフロンティア;生産管理のおくれ;ファイリング・システムをつくる;営業の贅肉をとる;国内市場を征覇する)
第2章 スーパーカブ誕生そして世界へ(いよいよ輸出へ;アメリカへ進出;スーパーカブ誕生のいきさつ;一転、生産調整へ;アメリカ・ホンダの危機;私の教育法;スパイ事件;エキスパート制度に十五年;進歩は仕事の中から;研究所の独立;SF―サービス工場;集団思考型の“重役室”;四輪のスタート;欠陥車問題の直撃;ホンダの安全思想;スピードを捨てよう;私は幸運だった)
第3章 学んだこと、思うこと(桑の根っこを抜かないように;強くたくましく考えよう;世界をリードする仕組みを;ホンダ二十五周年に想う;学んだこと、思うこと)
著者等紹介
藤沢武夫[フジサワタケオ]
1910年、東京生まれ。28年、旧制京華中学卒業。以来、丸二製鋼所、日本機工研究所長などを経て、49年、本田技研常務取締役、52年、専務、64年、副社長に就任。73年に第一線を退き、取締役最高顧問、83年取締役を退任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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