PHP新書<br> チャーチルが愛した日本

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チャーチルが愛した日本

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  • サイズ 新書判/ページ数 223p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784569693651
  • NDC分類 289.3
  • Cコード C0230

内容説明

イギリスの歴史的な名宰相ウィンストン・チャーチルは終生、日本に対して好意と深い理解を示しつづけた。幼少のころ愛する母から伝えられた美しい日本の印象が、忘れがたい記憶として残っていたからである。箱根、東京、日光、京都を旅したチャーチルの母は、明治期の日本に何を見たのか?戦中、戦後のチャーチルは、荒廃した日本に何を望んだのか?歴史的名宰相の目に映った日本の隆盛と衰退、そして再生とは…。母の日本旅行記など未邦訳資料を踏まえながら、元外交官が見事に描ききる。

目次

第1章 夜空に輝く星―チャーチルの母(ブレナム宮殿―銀の匙を口にして;チャーチル家とジェローム家;艦上の舞踏会;死しか断てない絆;愛の道は平らかならず;パリの結婚式;宮殿を圧するきぬずれの音;配所の月―ダブリン;春ふたたび;突然の挫折;失意のうちに;世界一周旅行へ;チャーチルとその母と父;星墜つ;育ての親―エヴェレスト夫人)
第2章 消えやらぬ二つの音色(日本への旅;ジェニー夫人の「日本紀行」;北太平洋横断;横浜;箱根;東京;日本婦人の優雅さ;岩崎邸;民家の三味線;骨董品の店;春の皇后;日光;京都;消えやらぬ二つの音色)
第3章 同盟、敵対、そして協調へ(日英関係とチャーチルの生涯;日英同盟;日本への忠告―チャーチルの予言;日英海軍協力;日本海軍への感謝状;辞任して西部戦線へ;日英同盟の終焉;深まる対立の中で;無視された書簡;戦争回避のために;最後の警告―マンションハウス演説)
第4章 戦後日本とチャーチル(燃え上がる反日感情;チャーチル首相の登場;皇太子殿下歓迎午餐会;チャーチルと吉田茂)

著者等紹介

関榮次[セキエイジ]
1929年沖縄県生まれ。53年東京大学法学部卒業、外務省に入る。米国、インドネシア、英国、タイ、ユーゴスラビア、ブラジルなどに在勤し、ザンビア大使、駐英特命全権公使、経済協力基金理事、ハンガリー大使などを歴任。92年退職。企業顧問などを経て、現在ノンフィクション作家。社会福祉法人わらしべ会乗馬センター顧問(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ミッキー・ダック

11
著者は元外交官。二度に渡り英国の首相を務めたウィンストン・チャーチル(1874-1965)は、母親の影響で日本文化に敬意を抱いており、政治的にも一貫して日本に好意的だった。本書は、明治維新以後の日本の歴史に深く関わった彼の思考と行動の軌跡を具体的に辿っており、日英同盟を強く支持していたチャーチルが、軍国主義に突き進む日本をどのように見たか、何故同盟を終焉させたのかが、非常に良く分かった。もし彼の戦争回避の忠告を受け容れる器量の政治家が日本にいたならば、歴史は大きく変わったと思うと残念だ。2014/07/18

遠藤三春

3
チャーチルの母の日本紀行を聞き、チャーチルは、日本に親しみを感じ、戦争の中でも常にその思いは変わらなかった。すごい人だ。2012/02/01

Рома

2
チャーチルがヤルタ協定の際にソ連の対日参戦、及び終戦後の北方四島獲得に乗り気ではなかったことが最近明らかになったが、このように英国では数少ない知日派であった。その要員として彼の母の日本に対する特別な感情は勿論のこと、第一次世界大戦での日本軍の素晴らしい活躍があるだろう。ワシントン海軍軍縮条約からの四カ国条約での日英同盟廃棄に彼は賛成票を投じたものの彼の内心はどうであったのだろうか。そうして米国の思惑からそれ意向日英両国は疎遠となり、やがて戦争へと踏み入ってしまったがその後彼が皇太子殿下、続いて吉田首相2017/11/05

ロピケ

2
チャーチルの母ジェニーが日本に来たことがあったと何処かで読んだ覚えがあったので、本当はジェニーの書いた旅行記が読めれば一番なのだが。無理なので、手っ取り早そうなこの本を選んでみた。ジェニーさん療養中の夫を連れての旅であった。かなり深刻な病状だったにもかかわらず、無事にイギリスまで帰りついているだけでも感心するのに、日本でもただ、ボーっと過ごしていないところがエネルギー溢れる、魅力的な人柄を想像させる。ベニシアさんの祖父のお兄さん、カーゾン卿もチャーチルと同じ時期に外相(チャーチルは植民地大臣)だったとは。2012/01/30

sa10b52

1
チャーチルが日本贔屓だったのかはわからない。母親の体験や日英同盟期の体験を通じて正しい理解を持ってくれたというところだろう。同盟破棄後の二次大戦に枢軸として傾いていく日本が軍部の暴走によるものとして、日本国民の良心に期待してくれた。そして明仁(当時)殿下の訪英を助け、英国民の戦後反日感情改善に配慮してくれた。そうした有名政治家が当時いたことが日本にとって僥倖。戦禍を繰り返さない日本人の決意はもちろん重要だが、こういうコネがソフトパワーとして外交や国防にも寄与するのだろう。2023/11/27

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