内容説明
ドン・ジョヴァンニはなぜ誘惑しつづけるのか。モーツァルトを愛したひとりの天才哲学者が自身の耳をたよりに、音楽の根源にあるエロスについて考察する。愛の内面的反復の可能性を問うた名著『あれか、これか』より、第一部第二章「直接的、エロス的な諸段階―あるいは音楽的=エロス的なもの」を採録。
目次
無意味な前奏―古典的芸術における『ドン・ジョヴァンニ』の位置づけ(モーツァルトへのオマージュ;古典的芸術作品における形式と素材;芸術における理念と媒介)
直接的、エロス的な諸段階―あるいは音楽的=エロス的なもの(序論―感性的=エロス的なものとしての音楽;第一段階―ケルビーノ;第二段階―パパゲーノ;第三段階―ドン・ジョヴァンニ)
無意味な後奏
著者等紹介
キルケゴール,ゼーレン[キルケゴール,ゼーレン][Kierkegaard,Soren]
1813‐55。デンマークの思想家。シェリングに学んだ。ヘーゲルの思弁哲学を批判し、普遍的な理性に尽くされない実在としての人間に注目、独自の個人主義を主張した。20世紀の実存哲学、弁証法神学に与えた影響ははかりしれない。『あれか、これか』『不安の概念』『死に至る病』など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
松本直哉
20
この歌劇への著者の無条件の高評価は19世紀ロマン主義の思考ゆえだろうか。主人公の英雄性、短調への傾斜など、ロマン派好みの作品かもしれない。たった一人の女性を誘惑したファウストを倫理的人間、何千人もの女性を誘惑したドンジョヴァンニを美的人間とする。反省も倫理も策略も超越したデモーニッシュな力がこの女たらしにはあり、ただ霊的な力(騎士長の石像)のみがその力をねじ伏せる。音楽だけがその媒介なしの直接性によって、この男のエロスを十全に表現すると論ずる。でもやはり男根主義的異性愛主義の礼賛でしかないのではないか2022/12/27
Kei
2
『あれか、これか」の第一部、第二章だけを白水社キルケゴール著作集から採録したもの。ドイツ語からの重訳なんだと思うが、採録に際して、原典に何を使ったかを表記していない。いくら新書判でも、使用テクストを明示しないのはいかがかと思う。2013/03/08