文庫クセジュ<br> ポール・リクール

個数:
  • ポイントキャンペーン

文庫クセジュ
ポール・リクール

  • ウェブストアに2冊在庫がございます。(2024年04月27日 04時28分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ 新書判/ページ数 163,/高さ 18cm
  • 商品コード 9784560509920
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C1210

出版社内容情報

現象学、解釈学など広大な領域を網羅した二十世紀を代表する哲学者の行跡をたどり、その独自性を評する。

内容説明

各時期の哲学思想を丹念に読み解き、整理した博覧強記な哲学者。その作業を通して、みずからの思索を展開していった。そのため、その思索には現代哲学を構成するすべての主要な流れが織り込まれている。初期の「意志の哲学」に光を当て、「解釈学」の独自性を解いた入門書。

目次

第1章 三重の系譜
第2章 意志の能力と無能についての哲学(方法上の注意事項;依存的自由の受肉した意志;過ちの謎;悪の象徴への聴従)
第3章 解釈学への最初の進出―時には忘れられてしまうその意味について(一九六〇年の解釈学が担う再建という課題;現代における聖の忘却を解釈学によって乗り越える?;一九六〇年における解釈学的転回の「その後の」変容)
第4章 解釈の諸可能性のアーチ(「解釈について(De interpretatione)」
諸解釈の気高き葛藤について
解釈学の短い道と長い道
隠喩の道
解釈学のアーチと意味の矢)
第5章 成熟期の著作群における自己の解釈学(歴史的時間意識の解釈学―時間は数えられているがゆえに物語られる;倫理と化した解釈学;記憶し忘却できる人間の解釈学)

著者等紹介

杉村靖彦[スギムラヤスヒコ]
1965年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程(哲学科・宗教学専攻)研究指導認定退学。パリ第1大学・パリカトリック大学第三課程留学、DEA(哲学)取得。現在、京都大学文学研究科准教授(哲学・宗教学専攻、宗教学専修)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

この商品が入っている本棚

1 ~ 1件/全1件

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

さえきかずひこ

15
20世期のあいだの60年ほども思索を続けたリクールの哲学を辿るひとつの試みであり、訳者あとがきにもあるように彼が解釈学とどのように出会い、向き合っていったかーとりわけブルトマンが重要であり、ハイデガーにはかなり批判的であり、それを継いだガダマーとは良いライヴァル関係だったーその過程を丁寧に描き出す良い入門書。とても思慮深く、丁寧に人間とその実存に向き合い続け、粘り強く弛むことなくおのれの学問を練り上げていくリクールの姿が読み進むにつれ浮かび上がってくるので終始爽やかな明るい気持ちで読み終えることができた。2019/12/12

singoito2

9
「リクール読本」が浩瀚すぎたので本書を借りてみました。序論のP25で著者が断っているように解釈学を導きの糸としていて、すっきりと分かりやすい構成になっています(ただし、後期の著作の扱いが紙幅の制約で軽くなってしまっています)。これからリクールを読みたい人、一旦、頭の中を整理したい人にはお手頃サイズでお奨めできます。生涯、信仰に生きたリクールの想いを偲ばせる内容、とも言えそうです。クセジュには珍しく誤植もなく、翻訳も配慮の行き届いた読みやすいものでしたので、その点でもお奨めできます。2023/03/30

うえ

8
初期リクールを扱う良書。「フロイトを読む」を構造主義連中に誤解されまくったリクールの怒りがよくわかった。最晩年の『記憶・歴史・忘却』についても言及。「リクールは歴史とは治療薬なのか毒なのかと問う。記憶を形成し、歴史を細かく語ることは、つねに良いことなのだろうか。また、過去の傷を強調しすぎることによって和解が困難になることもありうる。ゆえにリクールは記憶の善用を擁護する…正しい記憶とは不幸を想起し、犠牲者たちを称えるものであるのに対して、幸いなる記憶は忘却、思い煩わないこと、気づかいのなさの一形態に属する」2019/12/01

Bevel

8
「私は他者である」のだけれど、その意味するところは、「主体は文化の所産を介してのみ自己自身を理解し、自己の実存の意味を理解する」ということである。要約としてはとても助かるなと感じた。ただ、この本で見ると、リクールが、了解(訳語では理解だけど)という直観の不正確さを、さまざまな理論の説明によって篩にかける枠組みを論じた人に見える。リクールの面白いところは、さらに説明が了解を前提とすることを指摘して、聖書解釈であれ、サイエンスであれ、自己の実存であれ、どれも同じように扱える総合を提示したところだと思うけどな。2016/04/04

nranjen

6
リクールを読解に踏み出すにあたって、あらまほしき地図の役割を担ってくれる本。リクールはだれで、どのようなことをしたひとで、ほかのものとどのような関係にあったのかということが非常にわかりやすく説明されている。ク・セ・ジュはあたりはずれがあると自分は思っているが、これは結構あたり。カナダの研究者が書いたものだが、非常にわかりやすく整理されて説明されている。2020/01/02

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/8115848
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。