内容説明
フェティシズムは、民族学の領域で生まれ、哲学、性科学、文学、芸術などへ影響を及ぼし、最終的には、フロイトによって精神医学に導入された。その思想史を追うことによって本質に迫る。なぜ精神分析がこの概念を必要としたか、それによって何を知ることができたのかが明らかになる。
目次
第1部 フロイト以前のフェティシズム(フェティシズムの発明;フェティシズムの構成―哲学と民族学;フェティシズムの再発見―性科学的用法)
第2部 フロイトにおけるフェティシズム(フェティシズムとリビドー論;フェティシズムとファリックな象徴論;フェティシズムと自我の分裂)
第3部 精神分析とフェティシズム(フェティシズムの社会文化的な側面;フェティシズムの美学;精神分析におけるフェティッシュな対象のかたち;フェティシズム―精神分析の試金石)
著者等紹介
西尾彰泰[ニシオアキヒロ]
1972年生まれ。1998年、愛媛大学医学部卒業。2000年、マルセイユのエクス=マルセイユ大学で臨床研修医として勤務。2001年、パリ第七大学精神分析学部博士課程に在籍。2003年より、岐阜病院、岐阜大学付属病院助手などを経て、現在、須田病院勤務、岐阜大学医学部精神科非常勤講師
守谷てるみ[モリヤテルミ]
1959年生まれ。1982年、南山大学文学部仏語学仏文学科卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ケイ
127
「フェティシズム」をまず民俗学、宗教学的アプローチから、そしてフロイトを中心として主に精神分析の領域での定義や扱われ方を説明している。いわゆるフェチとはどういうことかではなく、言葉の定義や起源、それが意味するところなど。一読では、私にはとうてい理解するにはたりないからか、余計な質問が頭に浮かぶ。「去勢コンプレックス~母親にはペニスがない」ことなどが深層心理にあると思うのは、フロイト自身の経験が強く反映されているだろうし、各学者が打ち出す理論は自分自身の経験から自由になることは出来ないのではないだろうか。2018/12/04
たーぼー
43
民俗学的見地で生まれた当初のフェティシズムの概念は最終的に精神分析や臨床における重要な問題の領域として広がりをみせるわけだが、私の興味は俄然、性的分野にどう関与したか、という一点のみ。本書ではフェティシズムが性的な目的に逸脱したことの思考史についても具体的な記述が記されている。そこでエビングの名が挙がるのだが、谷崎潤一郎がエビングの著によって潜在的な性的倒錯が覚醒され文学の方向性を深化させたことを思い出した。小説家の創造欲を駆り立て美学的な実践がなされたならば、それはフェティシズムの偉大な産物といえよう。2016/11/01
kasim
27
人類学の概念として生まれ、コントやマルクスに注目されて哲学や経済学に導入され、さらに性科学に流用されたものを、フロイトが単なる比喩ではなくもとの人類学的な本質に沿う形で人の発達の中核(ファロスの代用)に据える、という流れ。フェティッシュは象徴か擬人化かという民族学・宗教学の論点も興味深い。経済面は薄め。問題の設定や構成は明晰だが、こちらの知識が足りないうえに内容が圧縮されすぎているのと堅い訳文で分かりにくいところも多い。とはいえ、大枠をつかむには良著だろう。2024/04/03
またの名
13
つまりフェチ。未開部族の物神崇拝を記述するために使われた用語は商品市場の分析に持ち込まれ、性科学を経てフロイトのもとに届く。フロイト自身の著作を読み解くのはもちろんのこと、毎週水曜に精神分析の初期メンバーが開いていた会議の議事録における発言などというマニアックな資料まで精査し言及する本。さらにラカンが再解釈することで、母の去勢を否認し想像上で完全な母という他者のイメージを可能にするシニフィアンが、物質的な対象すなわちフェティッシュとなり幻想を実現する、との議論が導かれる。基本になる議論はほぼカバー可能。2017/07/12
mstr_kk
5
非常に分かりやすく、コンパクトにまとまった本です。民族学から生まれた「フェティシズム」の考え方が、マルクスや性科学を経由して変形されてゆき、フロイトがそこに「去勢の否認」という形で認識論的切断をもたらす。さらにラカンは象徴界と関連づけ、フェティシズムを構造や制度の問題に接続した。フェティッシュとはラカンの「対象a」が物質化したものであり、去勢によって分裂した主体の仮面である。まさに知りたかったことを簡明に教えてくれました。2015/01/17
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