出版社内容情報
日本文学の泰斗はいかに誕生したのか
もし海軍日本語学校に入らなかったら、日本文学者になることはなかった――2019年2月に惜しまれつつも東京で永眠した故ドナルド・キーン氏は、かつて自らの分岐点についてこう語った。彼に日本語、日本文学との決定的な出会いをもたらしたのは、皮肉にも大嫌いな戦争だった。本書ではインタビューを通じ、彼の日本語との出会いから学習の過程、さらに研究者、教育者としての姿に焦点をあて、日本語とともに歩んだ人生を見つめ直す。
キーン氏は日米開戦直後の1942年2月に米海軍日本語学校へ入学。翌年1月までのわずか11か月間に、仮名と漢字はもちろん、日本軍の命令・暗号解読に必要な文語やくずし字の読み方まで学んだという。その効率的な学習を助けたとされるのが、戦前の米国大使館で日本語教官を務めた長沼直兄による『標準日本語讀本』である。本書では、70年ぶりにこの教科書と再会したキーン氏が、実際にページを繰りながら当時の思い出を語った。19歳だった彼は、この教科書で初めて芥川龍之介や菊池寛の文章に触れたのだ。
インタビューの聞き手となるのは日本語教育を専門とする河路由佳氏。貴重な資料や教え子たちの証言から、日本文学の泰斗の原点に迫る。
内容説明
生涯を決定づけた米海軍日本語学校への入学。当時の思い出が詰まった教科書を前に、学習者、研究者、教育者として、日本語とともに歩んだ人生を語る。
目次
第1章 わたしと海軍日本語学校(外国語との出会い;漢字、そして日本語との出会い;海軍日本語学校での日本語学習;海軍日本語学校の先生・仲間たち)
第2章 海軍日本語学校での日本語修行(海軍日本語学校での授業;『標準日本語讀本』をめぐって)
第3章 海軍日本語学校時代の書簡(発見された手紙;手紙にまつわる思い出)
第4章 戦時中の体験―日本文学研究の道へ(語学兵としての仕事;戦時下のハワイ大学で日本文学を学ぶ;日本語の専門家としての新たな出発)
第5章 日本語・日本文学の教師として(ケンブリッジ大学での第一歩;教え子たちの活躍)
著者等紹介
キーン,ドナルド[キーン,ドナルド] [Keene,Donald]
1922年、ニューヨーク生まれ。コロンビア大学在学中に太平洋戦争が勃発し、海軍日本語学校へ入学。戦後コロンビア大学大学院、ハーヴァード大学を経て、英国ケンブリッジ大学に留学、同大で教鞭をとった後、京都大学大学院へ念願の日本留学を果たす。帰国後コロンビア大学助教授を経て教授に就任、戦後のアメリカにおける日本文学理解を飛躍的に高めた。また翻訳、評論を通じ、現代日本文学の世界的普及に貢献。2011年コロンビア大学最終講義の後、東京へ転居、2012年に日本国籍を取得
河路由佳[カワジユカ]
1959年生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科(国文学専攻)修了。一橋大学大学院言語社会研究科博士後期課程単位取得退学。博士(学術・一橋大学)。現代歌人協会会員。(財)国際学友会日本語学校、中国・西安交通大学外語系日本語科、東京農工大学留学生センター、東京外国語大学大学院総合国際学研究院を経て、現在、東洋大学国際教育センター日本語講師。専門は日本語教育学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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