エクス・リブリス<br> 行く、行った、行ってしまった

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行く、行った、行ってしまった

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  • サイズ 46判/ページ数 353p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784560090688
  • NDC分類 943
  • Cコード C0097

出版社内容情報

ドイツの実力派による〈トーマス・マン〉賞受賞作

 大学を定年退官した古典文献学の教授リヒャルトは、アレクサンダー広場でアフリカ難民がハンガーストライキ中とのニュースを知る。彼らが英語で書いたプラカード(「我々は目に見える存在になる」)について、リヒャルトは思いを巡らす。
 その後、オラニエン広場では別の難民たちがすでに1年前からテントを張って生活していることを知る。難民たちはベルリン州政府と合意を結んで広場から立ち退くが、彼らの一部は、長らく空き家だった郊外の元高齢者施設に移ってくる。
 難民たちに関心を持ったリヒャルトは、施設を飛び込みで訪ね、彼らの話を聞く。リビアでの内戦勃発後、軍に捕えられ、強制的にボートで地中海へと追いやられた男。命からがら辿り着いたイタリアでわけもわからず難民登録されたが、仕事も金もなくドイツへと流れてきた男。
 リヒャルトは足繁く施設を訪ね、彼らと徐々に親しくなっていく。ドイツ語の授業の教師役も引き受け、難民たちとの交流は、次第に日常生活の一部となっていくが……東ドイツの記憶と現代の難民問題を重ね合わせ、それぞれの生を繊細に描き出す。ドイツの実力派による〈トーマス・マン賞〉受賞作。

内容説明

どこへ行けばいいかわからないとき、人はどこへ行くのだろう?退官した大学教授リヒャルトは、ベルリンに辿り着いたアフリカ難民に関心を抱く。難民たちとの交流は、次第に彼の日常生活の一部となっていくが…東ドイツの記憶と現代の難民問題を重ね合わせ、それぞれの生を繊細に描き出す。ドイツの実力派による“トーマス・マン賞”受賞作。

著者等紹介

エルペンベック,ジェニー[エルペンベック,ジェニー] [Erpenbeck,Jenny]
1967年ベルリン(当時は東ベルリン)生まれ。1985年に高校を卒業後、二年間の製本職人の見習いを経て、舞台の小道具係や衣装係として働く。1988年から90年にかけて、フンボルト大学で演劇学を学ぶ。1990年からはハンス・アイスラー音楽院でオペラの演出を学び、94年以降、舞台監督としてさまざまなオペラの演出を手がける。同時期に執筆活動を開始し、99年、『年老いた子どもの話』(河出書房新社)で小説家としてデビュー。2015年に発表した『行く、行った、行ってしまった』はベストセラーとなり、翌年度トーマス・マン賞を受賞。これまでに12の言語に翻訳されている。2017年、ドイツ連邦共和国十字小勲章を受章。その他受賞歴多数

浅井晶子[アサイショウコ]
1973年大阪府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位認定退学。訳書多数。2003年マックス・ダウテンダイ翻訳賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

どんぐり

114
ドイツ人作家による難民を題材にした作品。主人公はフンボルト大学を退官したばかりの元教授。ドイツ語授業をボランティアとして行うなかで出会ったアフリカ系難民との交流を描きながら、旧東西ドイツ、難民の境界・分断をめぐる思索が述べられる。アフリカとヨーロッパのあいだに横たわる海のどこかに溺れ死ぬ難民たちと、溺れ死なずに済む難民たちを隔てるものは、ただひとつ「偶然」のみだ。そう言う主人公も、難民たちと偶然に出会ってしまった。ここに登場するアフリカ難民の多くはリビアを経てイタリアへ、イタリアからベルリンまできた。→2022/02/01

NAO

75
ドイツに来た難民と彼らに関わる退職教官。さまざまな国から来た難民たちの事情は個々に違う。違わないのは、彼らは祖国で普通に暮らしていたのにある日突然武力で追い立てられ、全てを奪われ船に乗せられた、または乗るしか無かった、ということだ。リヒャルトに語られる話は、あまりにも理不尽で、悲惨で、簡単に感想など言えるようなものではない。イタリアやドイツのお国事情も、なかなか厳しい。でも、だからといって、こんなことでいいのか、このままでいいのか。何も知らずに難民を責めるのは、難民たちに対してあまりにも非情ではないのか。2021/10/03

ヘラジカ

75
難民問題の現実を見つめる眼差しが、明確な社会批判という形だけで外側へ向くのではなく、教授自身の内面へと沈潜していく様にこの作品の魅力がある。「鼻持ちならないヨーロッパ人」と紙一重であることを意識的に描いているからこそ、ラストの情景が凪いだ湖面のようにフラットに映るのだ。表層はドイツという国に流れ着いた難民を描いているが、これは境界線と人間性、そして個々人の物語でもある。「どこへ行けばいいかわからないとき、人はどこへ行くのだろう?」読み終えた後も長らくこの問いは胸に響き続けていた。物静かで美しい傑作。2021/07/16

優希

72
トーマス・マン賞受賞作。難民について考えさせられました。大学教授裏リヒャルトとアフリカ難民の交流が日常の一部になっていくことで、それぞれの「生」が鮮やかに見えてきます。どこに行けばいいか分からないとき、どこを彷徨うのでしょう。2021/08/21

nobi

69
東西ベルリンの壁の記憶もアフリカ難民たちの広場占拠も、極東に住む私には遠い国の話に思えた。語るのは退官した古典文献学の教授。彼はなぜかアフリカの若者たち一人一人に問いかけてゆく。“自分をかりたてるものがなんなのか”わからないままに。待遇改善に向けた行動でも慰めの言葉をかけるでもない。問われることは存在を認めてもらうに等しいのか。若者たちは話し始める。断食月の終わりを祝う宴直前の悲劇を、父が撃たれ携帯のSIMカードを抜かれた事件を。恩を仇で、もある。それでも接点の無かった世界が繋がり救世譚の如く輝き始める。2023/04/01

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