ラペルーズ世界周航記〈日本近海編〉

ラペルーズ世界周航記〈日本近海編〉

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  • サイズ A5判/ページ数 272,/高さ 24X17cm
  • 商品コード 9784560030103
  • NDC分類 290.9

出版社内容情報

 サハリン島の発見者、宗谷海峡の命名者であるラペルーズは、1785年ブレスト港を出帆。南米大陸から太平洋へ出、マカオから日本海を北上、ダッタン海峡に至り、さらに宗谷海峡の探索を終えた後、南太平洋で消息を絶つ。その航海日記から日本近海の部分を訳出し、終章に悲劇的な最期を書き下ろす。

目次

フィリピンより日本海へ
日本の北方の地理学上の空白海域に向かう
ダッタン海峡をを北上し、サハリン(樺太)が島であることを確認、水深が浅く軍艦の通行が不可能であるため南へ引き返す、ダッタン大陸東沿岸の探査と住民との接触
宗谷海峡をヨーロッパ人として初めて通過、千島を経てカムチャッカ半島へ向かう
ペトロ港入港、ロシア人の歓待、報告書を本国へ託送しオーストラリアへ向かう。サモア諸島の惨劇。ボタニー湾到着
遭難したラペルーズ艦隊の捜索

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

まーくん

89
フランスは少し焦っていたかも知れない。英国はキャプテン・クックの三回の太平洋探検航海で輝かしい成果を挙げていた。国王ルイ16世はラペルーズを司令官とし軍艦二隻を太平洋へ派遣。艦隊は南米ホーン岬を回り、北米西岸を探査の後、マカオに至る。そしていよいよ本航海最大の目的、日本北方へ向け出帆。エゾは?奥エゾ(樺太)は島か半島か?日本海に入った艦隊は北上を続け、韃靼(沿海州)と樺太の間の海域に達する。緯度は出てるが読んでいても、どの辺かよく判らない。本人達も判らないのだから仕方ない。島民(樺太アイヌ)とのやりとり⇒2021/09/28

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