内容説明
森林太郎は軍医としてどういう業績をあげたのか。日清・日露戦争の陸軍の脚気大惨害に軍医部長の森林太郎は責任があったか否か。軍医監・森林太郎はなぜ小倉に左遷されたのか。軍医総監・医務局長になった森林太郎は陸軍衛生部のトップとして何をしたか。軍医・森林太郎の功罪を問う脚気研究の第一人者による決定版。
目次
脚気とはどういう病気だったのか
明治時代の脚気の大流行
明治時代の脚気の原因説―脚気をどういう病気と考えていたのか
海軍の脚気対策と高木兼寛
陸軍の脚気対策と石黒忠悳
森林太郎の登場―ドイツ留学と兵食問題へのかかわり
森林太郎の陸軍兵食試験―脚気紛争へのかかわり
日清戦争時の森林太郎
日清戦争における陸軍の脚気惨害
森林太郎の小倉左遷の背景―台湾征討軍への麦飯給与をめぐる土岐頼徳と石黒忠悳との大喧嘩〔ほか〕
著者等紹介
山下政三[ヤマシタセイゾウ]
1927年福岡県に生まれる。1953年東京大学医学部卒業。1954年東京大学医学部第一内科学教室に入局、1988年まで在局。1960年医学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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南北
35
日清戦争や日露戦争当時大きな被害を出した「脚気」については、陸軍の森鴎外が麦飯に反対して患者を増大させ、海軍の高木兼寛は洋食に切り替えて患者を減少させたと言われてきましたが、詳細に見てみるとそう単純なものではないようです。陸軍では伝染病説の支持者も多く、その一方で麦飯を推進しようとしていた人たちがいたようですし、海軍も統計上重症の脚気患者のみをカウントしていたり、原因の特定も誤っていたため、その後患者数を増大させたりしています。お役所仕事だったという側面もあって改善するには長い年月が必要だったのです。2019/11/24
フンフン
1
本書によって百年にわたる脚気研究の概略が理解できました。 日清・日露の戦役で日本軍は多数の脚気病死者を出した。 日清戦後の台湾占領時の脚気患者激増で森鴎外(林太郎)は台湾総督府陸軍局軍医部長を更迭されるわけですが、後任の土岐頼徳は独断で全台湾軍に麦飯給与を指示した。このとき土岐が発した意見書は、上官に逆らうことが当時の軍人社会で何を意味するかを知るならば、実に涙なくしては読めない名文である。2015/04/27
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- 和書
- ジャン・プルーヴェ