内容説明
男たちは戦場へ行った。少女たちがチンチン電車を運転した。そして8月6日の朝がやってきた。いまよみがえる「チンチン電車被爆秘話」。
目次
第1章 「幻の女学校」との出会い
第2章 広島電鉄家政女学校開校
第3章 女学生運転士の誕生
第4章 青春の日々
第5章 軍都・広島とチンチン電車
第6章 八月六日、午前八時一五分
第7章 地獄絵のなかを
第8章 復旧電車が走る
第9章 女学生たちの六〇年
著者等紹介
堀川恵子[ホリカワケイコ]
1969年広島県生まれ。1992年広島大学総合科学部卒業。広島テレビ放送にて報道記者、ディレクターを兼務。経済ドキュメンタリー・平和問題などを多く手がける。2004年同報道部デスクを最後に退社、東京にて番組制作にたずさわる。ドキュメンタリージャパン専属ディレクター。おもな制作番組―『ニッポンの筆 世界に挑む』2003年、日本テレビ系列、ギャラクシー賞選奨、民間放送連盟賞優秀賞。『チンチン電車と女学生』2003年、日本テレビ系列、放送文化基金賞(ドキュメンタリー番組賞)、民間放送連盟賞最優秀賞。『千羽鶴はこうして集まった』2004年、日本テレビ系列、厚生労働省児童福祉文化財推薦
小笠原信之[オガサワラノブユキ]
1947年東京生まれ。1971年北海道大学法学部卒業。1972年北海道新聞記者を経て、86年フリーに。1990年『塀のなかの民主主義』(潮出版社)で第9回潮賞ノンフィクション部門優秀作受賞
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感想・レビュー
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どんぐり
101
広島テレビ放送で制作取材時の資料をもとに著したノンフィクション。広島電鉄が運行していた広島市内の路面電車では、運転士、車掌らの人手不足が深刻化していた。その穴埋めに女性の乗務員養成に新設されたのが、1943年4月に開校した広島電鉄家政女学校。ピカドンが落ちた日、広島市内を走るチンチン電車の運転士・車掌の約7割は14~17歳の少女たちだった。そして被爆3日後、奇跡的に復旧して焼け野原を走った電車にも、少女たちの姿があった。<語ることは、生き長らえた者の責任>と、当時の女学生が語るあの日。2015/06/04
へくとぱすかる
39
男性が兵隊に取られたため、高校生ほどの年齢の少女たちが電車を運転していた、戦争中の広島。「広島電鉄家政女学校」の生徒として、戦争末期ながら、それなりに青春として過ごしていた日々を、原爆が文字通り吹き飛ばしてしまった。彼女たちの日常を、幻に変えてしまったのは、ただ一発の爆弾だったのである。勤務中の被爆によって亡くなった人も多く、人々の記憶からも忘れられてしまっていた。本書はテレビ番組を元に、女学生運転士たちの足跡を、少しでもよみがえらせようとした、貴重な証言・記録である。テレビでぜひとも見たかった。2014/08/07
AICHAN
31
図書館本。太平洋戦争が始まった次の年、ミッドウェイで大敗した日本軍はジリ貧になっていく。男たちはどんどん徴兵されていき、男の仕事に空席ができるようになる。広島電鉄はその空席を女性に埋めさせることにし、一般の学業と並行して車掌・運転士の養成授業も行う広島電鉄家政女学校を作る。給料までもらえると知って、3年間で14~17歳の309名の女の子が入学(入社?)した。その間、女学生たちは広島の町で路面電車と路線バスの車掌や運転士として明るく活躍した。3年目の真夏のある朝、彼女たちはピカッという閃光に包まれた…。2016/07/17
マカロニ マカロン
15
個人の感想です:A-。アダルト系の小説と勘違いされそうなタイトルだが、原爆が投下された当時、14~16歳の女学生が広島では路面電車の運転士と車掌を勤めていたというドキュメンタリーを書籍化。1943年4月に広島電鉄が路面電車の運転士養成の女学校を開校。45年4月まで3期採用した。8年の義務教育後、女子が進学することは親戚中が大反対で出来ない時代、給料が出るということで貧農の子女が入学。戦時下で親元を離れて学業と電車勤務、寮生活の苦労も多々あったが、若い女学生ならではの娯楽や恋もあった。そしてその日を迎える2021/08/26
椿子
8
戦時中、男の人の代わりに電車を走らせた女学生を取材したドキュメンタリー。変に大げさに書いてなくてとても好感が持てた。当時の女学生の生活ぶりというのも窺えて興味深かった。その人たちの生活を描くことで、戦争の恐ろしさ、原爆の悲惨さというものが浮かび上がってくる良書だと思う。できたら単発ドラマ化してほしいなあ、と思うような話。2015/07/06