ドラッカー20世紀を生きて―私の履歴書

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 201p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784532312329
  • NDC分類 289.3
  • Cコード C0034

内容説明

多くの著名人と身近に接した少年時代、ナチス政権下の記者稼業、人生を決定づけたGMとの運命的な出合い―。マネジメントの巨人が波乱に満ちた人生を振り返る。

目次

基本は文筆家―95歳でも現役
生まれは帝都ウィーン―4歳の夏に第一次世界大戦
世界で最も優しい父―シュンペーターに救いの手
フロイトと握手する―顔広い両親
最高の教師との出会い―8歳で学ぶ喜び知る
赤旗デモに誘われ先頭に―「場違い」と感じる
退屈なウィーンを脱出―図書館で「大学教育」
大恐慌で記者の道―初日から編集長に怒鳴られる
ヒトラーに直接取材―ファシズムの本質見る
ナチス突撃隊―心臓が止まる思い〔ほか〕

著者等紹介

ドラッカー,ピーター・F.[ドラッカー,ピーターF.][Drucker,Peter F.]
米クレアモント大学教授で、20世紀を代表する知の巨人。1909年にハプスブルク帝国の首都ウィーンで生まれる。1933年、ナチスドイツの不評を買う論文を発表し、英国へ脱出。米国移住後の1939年、処女作『経済人の終わり』を刊行、後の英首相ウィンストン・チャーチルから評価される。第2次世界大戦中、ゼネラル・モーターズ(GM)のコンサルタントを引き受けるなどで、マネジメントの大家へ。1949年から22年間ニューヨーク大学(NYU)教授、1971年から現職

牧野洋[マキノヨウ]
日本経済新聞編集委員。1960年、東京生まれ。1983年、慶応義塾大学経済学部卒業。同年、日本経済新聞社入社、英文日経記者。1988年、ニューヨークのコロンビア大学ジャーナリズムスクール卒業、修士号(MS)取得。証券部記者などを経て、1993年からチューリヒ、1996年からニューヨークに駐在し、欧米の資本市場から企業経営を取材。1999年、ビジネス週刊誌「日経ビジネス」編集委員。2003年から現職
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

飯田健雄

44
まず。ドラッカーがハプスブルク帝国に生まれたこと。マージナルな知的領域で住むことで、フロイトなどと親交があった。これは非常に重要。さらに、ナチスドイツの迫害、イギリスでの生活、そして文筆の才能。ワシントンポストとの契約。GM、IBM首脳との交際、これらがドラッカーを経営学者の道へといざなったのであろう。世界の流れ、特に社会変化を俯瞰的に見る才能は素晴らしいとおもう。2019/05/08

22
ドラッカーの本は初めて。基礎知識が追いつきませんでした。他のドラッカー本も読みたい。2019/06/11

たー

13
奥さんとのロンドンでの再会エピソードすごいな2015/11/22

やまやま

12
日経「私の履歴書」連載の自伝に、訳者の牧野さんが各回の解説を付与するスタイルで単行本化された。チャーチルが良い書評を書いてくれたのはやはり幸運か。デミングとの関わりはいろいろあったようだ。今風にはセクハラ問題教授が同僚という中で、学部長として対処したことと思われるが、「管理者としては楽しめなかった。」というのは本音か。日本画の授業という鑑賞会は不思議なものではあるが、ドラッカー自身に関心のある学生が趣味をまねたのでは、とも感じる。会社組織名をアイデンティティにして何ら奇異でないという日本びいきに感嘆。2019/05/30

手押し戦車

11
組織は人の強みを最大に発揮し弱みを中和する様に人を配置し攻撃的なマネジメントを行ってこそ企業は人なりに成る。政治からビジネスの世界まで関与してるのは人で有り性格や考え方も十人十色。人は教える立場に成ってこそ自分の能力を伸ばせる。教える側は常に勉強を繰り返し本質的に理解して行くのが使命になる。企業を観察し長年の時間をかけマネジメントの本当の使い方や人の強みを出せる人事こそ本当の生まれ持った真摯さという素敵で重要な力で有りリーダーとして役割。いつの時代も人なり!人材の材を「財」に変えてしまう組織こそ真摯さ2014/05/18

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/483185
  • ご注意事項