内容説明
北斎は文化3年(1806)、房州木更津へ旅立った。そして外房まで足を延ばし、太東岬の荒波を見て、鴨川の彫物大工“波の伊八”の彫刻に出会った。世界的名画「神奈川沖浪裏」誕生へのインスピレーションをこのとき得たのだった…。カラー図版満載で解説する異色の北斎論。
目次
序 写実と幻想の狭間で
第1章 小布施祭屋台の天井画の意味と狙い
第2章 西洋画風への目覚めと抒情性
第3章 読本作者・馬琴との出会い
第4章 房総の波に魅せられた北斎
第5章 庶民の真の姿を捉えた『北斎漫画』
第6章 風景画の決定版「冨嶽三十六景」
第7章 シーボルト事件の後遺症
第8章 北斎―もう一つの思い
著者等紹介
内田千鶴子[ウチダチズコ]
1966年早稲田大学第一法学部卒業。76年映画監督内田吐夢の次男有作と結婚。79年写楽研究を始め、83年雑誌『歴史と人物』に「写楽=能役者新史料」を発表。93年『写楽・考』で写楽=能役者斎藤十郎兵衛説を確立し、定説化への評価を得る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アキ
38
小布施・北斎館で購入。なぜ83歳になってわざわざ小布施に来たのか?90歳で永眠するまで計4度も江戸から絵を描きに来た。個人的なシーボルト事件の影響と天保の改革による風俗取締令で多くの絵師が貧窮し、その結果高井鴻山を旦那様と慕い、鴻山は北斎を先生と呼ぶ関係に至る。小布施で晩年に描かれた絵は、解き放たれたかのような鮮やかな極彩色で、妙見信仰から天上界に思いを馳せていたのではというのが著者の考え。岩松院天井画は160年経てもほぼ剥落せず、西洋の油絵の具の製法を研究した結果。死ぬまで常に向上する姿勢が素晴らしい。2018/10/23
onasu
21
先日のテレビ番組でも、「凱風快晴」や「山下白雨」に描かれた富士は、実際の山容を倍の高さにすると、ぴたりと一致すると示していたが、流石の構図の妙手。 小説以外で浮世絵師の画業を追うのは初めてだが、遠近法の修得、ベロ藍の使用、北宋様式の取り入れなど和洋中を織り交ぜ、房総、甲斐、信濃などにも足を運び、外房の寺では「波の伊八」の彫刻を見て、「神奈川沖浪裏」着想のヒントを得たとか。 カラー画像の多い贅沢本で、滝沢馬琴、柳亭種彦との交わりなどは、朝井まかて箸「眩(クララ)」の予習になっていたら幸だ。2016/04/18
雨巫女。
17
《私‐図書館》北斎の絵が、今でも、通用するのは、あのデザイン性かもしれない、2011/06/24
きみたけ
9
葛飾北斎の冨嶽三十六景がお気に入りですが、70歳過ぎてからの作品だったのは知りませんでした。斬新で奇抜な構図の風景画だけでなく、働く庶民の生活をありのままに捉えた点も多くの人々に支持されている理由ではないかと思います。カラー挿し絵満載がとてもうれしいところ☺️2020/11/03
ceskepivo
8
著者の次の言葉に同意!「北斎の作品の卓抜した構成力、対象を見つめる揺るぎない観察力、豊かなイマジネーションな どにひかれたが、一番心を動かされたのは、対象に向かう妥協を許さない探究心、作品から溢れ 出る力強い生命力にだった。」2024/12/11




