出版社内容情報
ふりがな
内容説明
自動車修理工から身を起こし、「世界のホンダ」を一代で築いた日本のビジネスヒーロー、本田宗一郎。彼が自らの前半生を回顧した「私の履歴書」を中心に、人間的魅力に満ちたその生涯をたどる。後半部には、彼が社内報等に寄せた文章をもとにまとめた「本田宗一郎語録」も収録。
目次
第1部 私の履歴書(浜松在の鍛冶屋に生まれる;自動車修理工場に見習奉公;小僧っ子から神様へ ほか)
第2部 履歴書その後(一九六二年‐一九九一年)(疾風怒涛の十年;F1への挑戦;小型自動車に賭ける ほか)
第3部 本田宗一郎語録(三つの喜び;製品の美と芸術;資本とアイデア ほか)
著者等紹介
本田宗一郎[ホンダソウイチロウ]
1906年静岡県生まれ。22歳で独立、浜松で自動車修理工として成功するが飽きたらず、エンジンやピストンリングの研究を始める。戦後、本田技術研究所を創業し、自転車に小型エンジンを載せた通称「バタバタ」を発売。1948年、本田技研工業(株)を創業し社長に就任。オートバイ「ドリーム号」「スーパーカブ号」などを次々に開発し、二輪車で世界のトップメーカーとなった。その後、四輪車に進出、低公害のCVCCエンジンの開発などを成功させ、世界的自動車メーカーを築き上げた。73年、社長を退く。91年8月、肝不全のため84歳で死去
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感想・レビュー
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あすなろ
69
この本は昔から読み損ねてた本。日経連載の私の履歴書収録章をベースに。で、やはりこのご自身が書かれた履歴書は殊の外面白いのである。勿論その他の章も含め出張時に一気読み。そして敬愛する空冷水冷戦争後のご勇退に至る件。身内を会社に入れない、もある。更に改めて興味湧いたのは、番頭という書き方をするがもう一人の創業者と章立てされる藤澤武夫氏。資金繰りから管理関係・営業関係と謂わば並走者として僕としては今後の興味の対象として実に示唆に富むのである。僕が敬愛する経営者の1人の本として、愛息に贈る一冊の本棚に収納しよう。2019/04/14
まつこ
40
本田さんは"「HONDA」の創業者"であるという情報しかない状態で読んだ。こんなにもバイタリティ溢れ、やんちゃなおじさんとは!そしてHONDAというより、本田技研だという印象。そして、やっぱり一人ではなかった。もちろん本田さんの情熱あってだけど、藤澤さんがいなかったら成功はなかった。また本田さんと井深さんが友人であったという事が嬉しい。実家ではずっと車は「HONDA」、TVは「SONY」だから(笑) 読んでよかった!私ももっともっと自分のために働こうと思う。2013/04/02
Tadashi_N
35
大胆かつ繊細、豪放磊落、人誑し、異能の人との組み合わせ。2017/02/21
Miyoshi Hirotaka
28
温故知新。ある時代や産業を象徴するリーダーとして、本田宗一郎は特筆される。まず、あらゆることを興味と努力で覚えた。苦手なことは信頼できるパートナーに任せた。さらに、研究開発と製造販売を分離し、技術、つまり、夢を追う自由度を確保した。このため、トヨタが自動車専業であるのに比べ、ホンダは二輪車、自動車、ロボット、飛行機と様々な分野にチャレンジし、実現させている。存在する企業や存命するリーダーにもロールモデルはある。但し、死してもなお、「夢を力に」という理念を発し、社員を鼓舞している点でホンダに勝る組織はない。2021/05/18
バズリクソンズ
26
世界のホンダがいかにして誕生し、発展していったのか。私の履歴書は血の通った本田宗一郎自身の人間性を垣間見える熱い内容。なにせいくら好きな事を職業にしたとはいえ、エンジンを開発してしまうのは並大抵の技術の持ち主ではない!スーパーカブの大ヒット、F1への参戦、CVCC搭載シビックの販売とその偉業は数え上げればキリがない。成功に辿り着くまでの数々の失敗、紆余曲折を経ての苦労話は時代こそ違えど、万人に参考になる事間違い無し。もう一人の経営者、藤澤武夫の存在無くてホンダの成功はありえなかった事も申さねばならない。2024/08/13