聾の経験―18世紀における手話の「発見」

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  • サイズ B6判/ページ数 439p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784501618209
  • NDC分類 378.2
  • Cコード C0000

出版社内容情報

 本書は、"The Deaf Experience: Classics in Language and Education", edited and with introduction by Harlan Lane, translated by Franklin Philip(Harvard Univ. Press,1984)の全訳である。18世紀フランスで手話による聾教育を創始した人々と聾者自身による、自伝や教育実践記録・聾教育史研究などの古典を集めたアンソロジーである。
 訳者が、本書の訳出を志したきっかけは、1995年に日本で表明された「ろう文化宣言」の衝撃である(『現代思想』3月号)。訳者は、不明にもそれまで、日本手話と日本語対応手話の違いを知らなかった。NHKの手話講座などで通常用いられている日本語対応手話は、日本語の文章を日本語文法に合わせて手指のサインに置き換えた、人工的ないわば中間言語であるのに対して、聾者の母語である日本手話は、日本語とは異なる固有の文法組織を持った独立した言語であり、日本語と同等・対等な一個の自然言語なのである。
 手話のこの言語的な独立性は、聾者自身の主張によって、18世紀には広く知られていたのである。にもかかわらず、その後、聾者に発声と読唇を強いる口話主義(oralism)が支配的となるにつれて歴史の闇に追いやられ、手話について語られる際も、せいぜいが音声言語対応手話のみが問題とされてきたのである。口話主義は、聾者が障害者であるとの先入観から出発し、多数派である聴者の文化と言語に同化を強制する行為を「善意」だとして自認してきた。その下で、手話の使用は禁じられ、聾者は自立的文化の一員であるどころか、自立を欠いた「障害者」としての自意識を強要されてきたのである。それは、戦前の日本が朝鮮人や台湾人に母語の使用を禁じ、民族としてのプライドを毀損した同化主義に等しい振舞いと言えよう。
 手話の言語的固有性がようやく「再発見」されたのは、1960年代のアメリカであった。そして、日本では、木村晴美氏と市田泰弘氏の「ろう文化宣言」によって、はじめて手話の固有性と聾であることが障害ではなく文化であることの意味が広く知られるようになった。今回、この日本語版の付録として、木村・市田の両氏に「ろう文化宣言以後」と題して、この五年間を回顧する文章を寄稿して頂いたことは、訳者の無上の喜びである。
 この手話主義vs.口話主義の対立の歴史については、早速にも、本書の編者レイン氏の序論をお読みいただきたいが、本書に収められた著作群が著わされた18世紀後半から19世紀前半の時期は、手話の黄金時代であった。ド・レペ神父が、初めて公共的な聾教育を開始したとき、彼が用いたのは、フランス語対応手話ともいえる「方法的手話」であったが、その後、聾者自身によって自らの自然手話についての自覚が高まる。それが口話主義へと逆転したのは、帝国主義が勢力を張り、社会ダーウィニズムが思潮を支配した19世紀後半のことである。その絶頂とも言えるのが、ベルの優生学的論文「聾者という人類の変種の形成に関する覚え書き」である。この日本語版では、この論文の一部を付録として訳出した。そこに記された誤謬や偏見を含めて、口話主義の優生思想の歴史的記録として参考に値すると考えたからである。日本では、電話の発明者でかつヘレン・ケラーの庇護者として知られるベルのもう一つの側面が明らかとなろう。
 編者のハーラン・レイン教授は、世界的に著名な言語心理学者であり、邦訳としては既に、『アヴェロンの野生児研究』(中野善達訳、福村出版、1980)がある。この他に、聾教育史研究の決定版ともいえる大著『心が聞くとき』(1984)や『アメリカ手話学の近況』(1980、共著)などがあり、また、世界で唯一の聾者のための大学であるギャローデット大学で、聴者の学長を更迭し、聾者の学長を初めて選び出した1988年の紛争の時期には、同大学で客員教授を務め「デフ・パワー」の渦中の人となった。さらに、健常者と障害者の関係を社会学的に論じた『善意の仮面』(1992、第2版1999)がある。
 訳文は平易を心がけ、本来はフランス語で示すべきところも英語で表記している箇所がある。しかし、著者のハーラン・レイン氏とギャローデット大学図書館長ウルフ・ヘドバーグ氏のご厚意により、フランス語原典を入手し、参照することができた。仏文との対照には、名古屋市立大学の寺田元一氏(フランス思想)の協力を得た。氏は、共訳者ともいえるほど懇切な校閲を行なって下さった。無論、なお残る誤り等については石村の責任である。編集には東京電機大学出版局の徳富亨氏の手を煩わせた。以上、各位に深甚な感謝を表したい。また、目次の解説・年表の増補・概念図・索引の解説も訳者の意思で日本語版に追加したものである。本訳書を、歴史に名を残さなかったろうの人々に捧げたい。音も文字もない中でものを考え続けた彼らのことを思うとき、哲学する勇気が鼓舞される。
2000年10月
石村 多門

序論 ハーラン・レイン

第1章 フォントネイ『**嬢宛ての手紙』[1765]
 稀代の「唖治し」ペレイラの「看板生徒」であったフォントネイ[1739-?]が、仮想の手紙形式を借りて聾者としての自分の思想生活の展開について述べた自伝。

第2章 デロージュ『ろう者の意見』[1779]
 パリの町で製本や表具を職業として自活していた聾者デロージュ[1747-?]が、ペレイラの衣鉢を継いで口話主義を唱えたデシャン神父を論駁し、パリの聾社会で用いられていた聾者の自然手話を擁護するために書いた論争的小冊子。彼は、「立派な貧民」と呼ばれた。

第3章 ド・レペ『真の聾唖教育法』[1784]
 聾教育史上最も著名と言えるド・レペ神父[1712-1789]は、従来の指文字による教育に代えて、聾者の自然手話を規則化し、いわばフランス語対応手話とも呼ぶべき「方法的手話」を作り出し、これによって聾教育を行なった。神父の立場を総括的に述べた序論とともに、フランス語文法の複雑な格変化や時制表現を方法的手話でいかに表現するかを論じた第一部・第1章から第5章までの抜粋。

第4章 マシュー『自伝』[1800]
 シカールの「看板生徒」であり、聾者として初めて教師となり、後輩たちの聾教育に当たったマシューが、世界初の文化人類学会で行なった講演と質問応答の記録。マシューは、アメリカの聾教育の基礎を築いたローラン・クレールを教え、ベビアンを教えた。

第5章 シカール『先天聾の教育課程』[1803]
 ド・レペを継いでパリの国立聾学院の院長となったシカール[1742-1822]が、ド・レペの「方法的手話」を批判し、フランス語の文法規則の実体的意味を知るため、合理的な観念の分析を手話で行なっていく方法を提案した、いささか「思弁的」な聾教育の教程本。という以上に、彼が、弟子のマシューにいかに思考を教えたか、類概念・種概念をいかに伝えたかの実践記録である。

第6章 ベビアン『ろう者と自然言語』[1817]
ベビアン[1789-1839]は、南米のフランス植民地でクレオールとして生まれ、高等教育を受けるため名付け親のシカールを頼った。そのため、聴者ながらパリの聾学院の寄宿舎で聾の生徒たちと共に暮らし、彼らの自然手話を身につけた。本書では、聾教育の歴史を略述し、また手話の語彙を文書に記録し辞書を作る方法(ミモグラフィー)を提起している。彼は、ローラン・クレールによって「聴者として史上最良の聾者の友人」と称えられた。

第7章 ベルティエ『ろう者――ド・レペ神父以前以後』[1840]
ベルティエ[1803-86]は先天性の聾者で、パリの国立聾学院が輩出した人物として最も有名な人である。卒業後、ベビアンの下で助手を勤めた後、国立聾学院の主任教授になる。また聾唖運動のリーダーとして「パリ聾唖者中央協会」を設立(1835)。聾教育史研究の第一人者でもあり、この講演でも、聾教育の歴史が詳しく辿られている。

[付録] ベル『聾者という人類の変種の形成についての覚書き』[1883]
  ベル[1847-1922]は親代々の発音矯正師の家業を受け継ぎ、彼が電話を発明したのも発音矯正装置の研究の中でのことであった。彼は口話主義の戦闘的な主唱者で、20世紀における手話の弾圧を決定づけたミラノ国際会議(1880)にも富豪たる彼の支援があった。当時隆盛だった優生学を信奉したベルは、聾者同士の結婚から聾者の人口が増大することを憂慮し、聾者と聴者の結婚を促進するためにも口話が必要だとの論陣を張った。

[特別掲載] 木村晴美・市田泰弘「ろう文化宣言以後」

内容説明

啓蒙思想の花開いた18世紀後半は、聾教育と手話にもまた明るい日の射し始めた時代であった。本書に収められた7編のテキストは、その1764年から1840年の間にフランスで書かれたものである。百年を経ずして再び口話主義の暗黒に戻る運命の下、それらは先駆的であり、論争的であり、また思索的であり、愛情溢れるものであった。「ろう文化宣言以降」を掲載した日本版。

目次

第1章 フォントネイ『**嬢宛ての手紙』(1765)
第2章 デロージュ『ろう者の意見』(1779)
第3章 ド・レペ『真の聾唖教育法』(1784)
第4章 マシュー『自伝』(1800)
第5章 シカール『先天聾の教育課程』(1803)
第6章 ベビアン『ろう者と自然言語』(1817)
第7章 ベルティエ『ろう者―ド・レペ神父以前以後』(1840)
付録 ベル『聾者という人類の変種の形成についての覚書き』(1883)
特別掲載 木村晴美・市田泰弘「ろう文化宣言以後」(2000)

著者等紹介

レイン,ハーラン[Lane,Harlan]
世界的に有名な言語心理学者。著者に『アヴェロンの野生児研究』(邦訳、福村出版、1980)、『心が開くとき』(1984)、『アメリカ手話学の近況』(共著、1980)、『善意の仮面』(1992)等がある
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