出版社内容情報
今から約1250年前の天平8年(736)に帰国した遣唐船に同乗していたペルシア人青年・李密翳。この青年は何の役割で、どんな目的で連れてこられたのか?大秦景教流行中国碑を分析し、歴史の謎を推理する。
はじめに
前篇 天平の客波斯人李密翳の謎
遣唐使の旅
遣唐船の復船で東渡
乗客の顔ぶれ
中国にはない李密翳の記録
中国の姓名の命名法
李姓は唐朝からの賜姓か
地上から消えた景教碑
高野山にも景教碑の模造碑
碑文中と碑旁の僧名
江戸幕府禁制の景教碑文
李密翳は医師であったか
密翳の原名と唐風名
密翳に音訳した原音は
正倉院にある最古の具注暦には
密翳は舞楽人か工匠か暦術家か
史上の謎の人
補記
付録
後篇 大秦景教流行中国碑文の訓註
解説 碑の概要
後篇の用字法について
碑文の訓読と註
あとがき
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
韓信
1
帰朝遣唐使とともに来日し、続日本紀に一度だけ記録された波斯人・李密翳の正体を考究する論考だが、史料を博捜しているわりに中身が空っぽで、景教との関係も先行研究の誤りから誤解されてるだけで何の繋がりもないし、李密翳の正体も位階が低いという以外は結局何も判らないという、壮大ないかがでしたかブログ。そもそも本当に波斯人なら景教よりは祆教徒である可能性の方が高いと思うのだが…。基本的史実の誤認の多さに定評のある著者だが、議論が明後日の方向に膨らみ空回りしており、これだけ史料を博捜できるのにここまで頭が悪いのは不思議2023/03/03
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