内容説明
SARS、HIV、WNFV―この男が今、いたならば…。生命の危険にさらされたペスト調査、医学者としての生命を賭けた「伝研移管事件」…気骨一貫の男が織りなす感動巨編。
著者等紹介
山崎光夫[ヤマザキミツオ]
昭和22年福井市生まれ。早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。平成10年『藪の中の家―芥川自死の謎を解く』で第17回新田次郎文学賞を受賞
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感想・レビュー
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Ted
6
'03年11月刊。○師コッホとは苦労人としての生立ちや気質が似ていたのかウマが合った。対して貴族的でエリートの鴎外とは反りが合わなかったことが窺われる。当時、ドイツの細菌学は医学の最先端をいく学問であり、ペスト菌や破傷風菌を発見した北里にすれば脚気の原因は細菌説を採りそうなものだが、米食説を支持した点は偉い。軍医総監という立場上、日本式兵食(米飯)に固執せざるをえなかった事情も分るが、学問に私情を挟まないという原則をもし鴎外が貫いていれば、日露戦争で何万人にも及ぶ脚気の犠牲者を出すことにはなかっただろう。2016/11/09
もえたく
6
ドンネル(雷おやじ)と呼ばれた北里柴三郎の生涯後編。死地に乗り込んで、ペスト菌を発見した北里も凄いが、支援した福沢諭吉の先見の明も素晴らしい。「学者は危険を顧みず、また、民衆の発想を超えて、将来を拓いていかなければならない」福沢諭吉に関する本も読みたくなりました。2014/11/06
Ken
2
知らなかったことが数々!①61才の時に伝染病研究所が突然、内務省から文部省傘下の東大に合併されたが、不服として辞職したこと。でも部下の医師たちも自主辞職してしまったというから、柴三郎という人物は雷も落とす気性の激しい性格の反面、人を惹き付ける抱擁力や技量といった度量があったのだと思う。②慶應義塾大学の祖・福沢諭吉が今の慶應医大病院も設立したのかと思っていたが、柴三郎が福沢の意思を継いで、破綻した慶應大学医学部を復活させたこと。③わが家に因縁深い済生会病院について、初代の中央病院々長は柴三郎だったこと。2015/01/20
Yoshiharu Yamada
1
北里柴三郎の歴史小説 未知なる伝染病と闘い、強い意志で医療、国益に貢献してきた生涯の記録は胸を震わすものがあった。 "研究"ということがどういうことか、わかった気がする。 大変熱く、勉強になる本だった。2019/01/03