内容説明
最終核戦争の結果、一切の科学知識が失われ、文明は中世以前の段階にまで後退した。だがその時、一人の男が災禍を逃れた数少ない文献の保存につとめるべく修道院を設立した。そして30世紀をすぎる頃、廃墟の中から再建が始まろうとしている。今度の文明こそは、自滅することなく繁栄の道を歩めるだろうか?孤高の記録保管所が見守る遠未来の地球文明史。ヒューゴー賞受賞巨編。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
320
本格SF長編である。20世紀末に起こった核戦争からおよそ1000年後の荒廃した世界が描かれる。隔絶された修道院といった舞台設定からはウンベルト・エーコの世界を連想しないでもないが、こちらの方がうんとシンプルで、メッセージもまたダイレクトで分かりやすい。ただし、人間の営為に対する絶望はあるいは深いかもしれない。書かれたのは1950年代の後半であるようだが、核兵器に対する脅威は生々しくもあり、切実だ。また、カトリシズムと終末的なペシミズムが物語の全編を覆い、砂漠に舞う禿鷹がこれを象徴的に表象する。2017/07/14
まふ
96
地球上の核戦争の結果,すべてが灰燼となり,滅亡しかけたため、人類に知識の伝達を禁止して,教会だけが過去の知識を保存する。その結果27世紀の米国アリゾナ州修道院で数世紀前の文書が見つかる、というのが第1部。それから1000年後の3174年の世界、人類は科学文明を理解できないほど退行する(第2部)。だが再び知識を獲得し始めると、3781年にはまた核の落とし合いで地球ごと破滅、一部の教会修道僧だけがロケットで地球を逃げ出して他の惑星を目指す(第3部)という話。⇒ 2025/09/04
扉のこちら側
86
初読。2015年1229冊め。【100/G1000】修道院が舞台になってはいるが宗教の話ではなく、科学は人類を幸せにできるか、人類に未来はあるかという話であり、科学と宗教と政治の三つ巴の話でもある。1章と3章では800年近く時代が動くので、三つの連作短編としても読める。教会組織の軋轢等はなじみが薄いので冗長に感じてしまった面もある。ちなみに石垣栄蔵氏のイラスト版の表紙が雰囲気があって好き。2015/12/21
藤月はな(灯れ松明の火)
82
ウンベルト・エコーの『薔薇の名前』を読んだ時と同じ「苦痛ではないが、読むのが中々、進まない」感覚を味わいました。物理学という林檎の実を食べた人類は自ら、黙示録(冷戦時の核爆発による汚染)を生み出した。その後の中世時代まで文明が退行した遠未来の設定はトリ二ティ・ブラッドを連想してしまいます。そして文明が復興しても人は同じことを何度も繰り返す。しかし、放射能放出物を使うことで神にも縋れない人々が生きて味わう苦痛を終わらせるための安楽死を望むという場面はとても痛々しくも否定できない思いがあり、苦しい。2016/02/27
おか
70
英ガーディアン必読書、ヒューゴー賞受賞作。最終核戦争で 全ての科学知識を失い 文明も中世以前の段階にまで後退してしまった人類。1000年経つ間に 人類は一体どうしていくのか、、、とても重いテーマのSF小説である。今 心に残っているのは学者が 科学知識の文献を修道院に隠し通してきた司祭に向かって言った「科学を修道院にしまっておいて、応用は考えず、人類が神聖になるまではなにもしない。そうはいかない!」という言葉が心が心に残っている。2018/12/09
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