内容説明
独房からは信じがたい静寂が漂ってきた。獄内の静けさを残らず集めたより深い静謐が。それを破ったのは溜息。わたしは思わず、中を覗いた。娘は眼を閉じ…祈っている!指の間には、鮮やかな紫―うなだれた菫の花。1874年秋、倫敦の監獄を慰問に訪れた上流婦人が、不思議な女囚と出逢う。娘は霊媒。幾多の謎をはらむ物語は魔術的な筆さばきで、読む者をいずこへ連れ去るのか?サマセット・モーム賞受賞。
著者等紹介
中村有希[ナカムラユキ]
1968年生まれ。東京外国語大学卒業。英米文学翻訳家
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
442
読了するのに難渋し、ページ数の多さが身に染みた1冊。物語は1870年代とビクトリア朝のロンドンを交錯させながら描いていく。主要な舞台として選ばれているのは、かつてテムズ河畔に実在したミルズ監獄。解説でもフーコーの『監獄の誕生』が引かれていたが、本書はまさに人間そのものにとっての監獄―社会に生きる閉塞感を描き出していく。極めて暗く陰鬱な物語だ。そして、希望は―どこにもない。そうした監獄の描写は著者の力量を示しているが、その一方で読者がどこまで霊なる存在を小説として許容できるかによって評価が分かれてきそうだ。2015/08/20
遥かなる想い
327
2004年このミス海外1位。19世紀末英国に実在するミルバンク監獄を舞台に紡がれるミステリー。本書は多くの賞を受賞したらしいが全編に立ち込める靄のようなものが終盤一気にクリアになる、著者の筆力は見事と言うべきだろう。慰問に訪れたマーガレットが出会った女囚シライナの人物造形が妖しく魅力的で引きずり込まれる。日記の形式をとりながら徐々に明らかになるシライナの真実…マーガレットとシライナの心の交流はまるで恋愛小説のようだったのだが…最後は「半身」という題名が暗示する結末に向けて一気に駆け抜ける,そんな物語だった2015/07/12
ケイ
143
監獄に魅入られたマーガレット。 あなたはまるでヴェルギリウスに先導されるダンテ。行く先にあるものは地獄の深淵だけ。「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」との警句が身に沁みたでしょう。其処を覗き込んではダメよ。ニーチェが語っている「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」と。あなたは檻の外から見ていたつもりかもしれないけれど、見られていたのはあなた。かわいそうに。でもね、もっとかわいそうな女のことを考えて笑ってやるといいわ。悪に完全に絡め取られて気付いてもいない女。深淵の底に沈んだ二人を。2017/06/13
Hideto-S@仮想書店 月舟書房
132
二つの肉体に分かれた私の『半身』……。19世紀の倫敦を舞台に描かれるゴシックの薫り漂うサスペンス。迷宮のような監獄を慰問に訪れた上流婦人マーガレットは女囚シライナに心を留める。まだ若い彼女の生業は霊媒。自分の支配霊『ピーター・クイック』が犯した殺人により収監されたという。孤独な魂を抱えたマーガレットは、訪問を重ねるうちシライナに惹かれていく……。幻惑的な筆運びがどこに向かうのか、半ばまでは目隠しされている気分だった。『聖アグネスのイヴ』から物語は急展開し、一気に視界が開ける。その風景は残酷で、切なかった。2016/05/15
mocha
108
濃い霧の中に佇む悪魔の建造物。テムズ川の湿気と寒さ、悪臭、劣悪な処遇。1870年代、実在したミルバンク監獄を舞台とした物語。囚われた一輪の菫のような霊媒師と、慰問の貴婦人マーガレット。その名のように儚い花びらが、胸の内の嵐に翻弄されてゆく。女性には様々な枷があった時代、マーガレットもまた家や社会という牢獄から逃れたかったのだろう。結末もトリックも意外性は感じなかったが、女性の弱さとしたたかさ、情の深さと冷酷さが見事に描き出された作品だった。2017/11/25