内容説明
溝口健二がデビューした関東大震災の年に撮った『血と霊』―それはどんな映画だったのか?日本における表現主義受容の歴史と、革新の波にあらわれる当時の映画状況の両面から、失われた映画に肉迫する。
目次
第1章 監督・溝口健二の誕生(日活向島の「新派劇」;「映画劇」という「新しい波」;「映画劇」の挫折と「新しい新派」の登場;『京屋襟店』;監督1年生・溝口健二の10作品)
第2章 表現主義の受容(『カリガリ博士』の衝撃;実践―舞踊・演劇・戯曲;実践―映画)
第3章 『血と霊』(封切まで;原作から映画へ;表現主義映画としての『血と霊』;怪奇犯罪譚としての『血と霊』)
第4章 『血と霊』以後(震災の影;表現主義から社会主義へ;溝口健二のその後)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
印度 洋一郎
3
1923年、後の日本映画の巨匠、溝口健二が監督した「血と霊」という、今はフィルムが失われた映画をテーマに、20年代の日本映画界の、当時の世界的な映画のトレンドだった表現主義への受容をみる。新派をそのまま撮っていた当時の日本映画界の中で、洋画風のリアリズムのある作品、そして「カリガリ博士」の公開から始まる表現主義ムーブメントを受けた日本の表現主義映画の苦闘の歩みは、当時の日本社会がいかに西洋文明とは未だ縁遠かったを物語る。同時に、日本の表現主義映画は、日本のホラー映画の前史という見方も出来るのがわかった 2018/06/27
tkm66
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この95年前のスチール写真を観るだけで、現代の自称<映像作家>達は襟を正すが良いのである。2005/12/18