内容説明
卓抜な引用論を軸にエクリチュールにおける「他者」のはたらきを宇宙的拡がりのもとに捉え、めくるめくレトリックで「書くという気狂いじみた戯れ=賭け」を浮き彫りにする。
目次
m^emeについて
Les G´eorgiquesの方へ―un dess(e)in
交叉と非両立―ミシェル・フーコーにおける見ることと言うこと
最後の作家としての批評家―ブランショと批評
『最後の人』から『期待 忘却』へ
美少年と聖女と哲学者と…
フランス現代詩とメタフォール―汎詩論(パンポイエミスム?)のために
『小散文詩』から『マルドロールの歌』へ―文学における時間への一視点
太陽とその変貌―J.M.G.ル・クレジオの世界
文学批評家としてのジャック・デリダ
ジョイスとデリダ
翻訳と/あるいは引用
言語(ラング)とエクリチュールにおける他者のはたらき―ロートレアモンとセガレン
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
内島菫
23
最初の論考「mêmeについて」の辞書のようなレイアウトにいきなり面食らうがそれも束の間、続く論考「Les Géorgiquesの方へ―un dess(e)in」の、余分なものをそぎ落とした構成と文体の醸し出す心地よい緊張感へと吸い込まれる。「mêmeについて」の辞書的な装いが隠していた地点は、「メタフォール/メタモルフォーズ」の逃げ続ける(変容し続ける)出発点なのだ。2019/03/12
渡邊利道
4
シモン『農耕詩』論、『レーモン・ルーセル』と『臨床医学の誕生』を重ねてその分身性と対立性を読み込むフーコー論、最後の批評家にして小説家ブランショ論、執拗に語り直される分身と変身にかかわるロートレアモン論、そこからはじまるメタファーとメタモルフォースが交錯する詩論=小説論が断然素晴らしい。ほか、文学から見たデリダ論、セガレン論と講演、翻訳について、ル・クレジオ論、バフォメット論、など、多くは豊崎が訳した作家・作品についての論集。早世した作者が早世した友人宮川淳に捧げているのが胸に迫る。2017/03/15
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