出版社内容情報
『吾輩は猫である』は千駄木で誕生した。予想外の反響、次々に押し寄せる災難などを紹介しながら、漱石の住んだ明治36から39年までの千駄木での暮らしと交遊を描く。
内容説明
いたちが跋扈し、木々の葉がそよぎ、泥棒が忍び足で入り、先生は石油ランプの下で執筆した。―イギリス留学より帰国後、一高・帝大への徒歩通勤、『吾輩は猫である』の予想外の反響、次々に押し寄せる災難など、明治の千駄木と漱石の暮らしを描き出す。
目次
1(明治の借家事情;「偏鄙にて何の風情もこれなく―」 ほか)
2(子規と漱石―松山にて;「転居せんと思うがよき家はなきか」―野村伝四と野間真綱 ほか)
3(牡蛎的生涯;雁の肉、猪の肉―食いしんぼうの漱石 ほか)
4(鈴木三重吉の手紙一件;「死んでいい奴は千駄木にゴロゴロ」 ほか)
著者等紹介
森まゆみ[モリマユミ]
1954年東京都生まれ。84年、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』創刊。近代建築の保存や上野不忍池保全などにも関わり、NTT全国タウン誌大賞、サントリー地域文化賞、建築学会賞を受賞。また、文化庁文化審議委員として文化財保存に努める。主な著書に、『鴎外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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TERU’S本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
なにょう
15
森鴎外に関する本を読みたかったのだが、適当なものが見当たらず、同時代人の漱石関連のこちらを読む。やはり、漱石の方が人気があるかな。★漱石も若い頃には地方に赴くも地方には地方の苦労があった。東京の千駄木に居ついても裏手の中学校はうるさいし、隣人にも無作法で厄介なものもいる。京都大学に赴任する話もあったが、漱石は東京の千駄木で世間と戦い続けることを選んだという。幸福とは富裕や安逸ではなく、生存の確認なのである(p235)。著者は見立てるが、なるほどそうかもしれない。2022/06/25
しんこい
12
このあたり時々散歩するとはいえ、現在の地名、旧町名と出てきては地図がほしいところ。それはさておき、神経衰弱と言いつつこれを読むとDVという感じもあり。猫を書いてだんだん有名になるころの時代の千駄木は田舎でもあり、400坪のお屋敷というのも今や想像できません。2016/10/06
マカロニ マカロン
10
個人の感想です:B+。夏目漱石は英国留学から帰国後明治36年~39年まで駒込千駄木町に住んでいた(この家に住んでいた時に『吾輩猫』を書き始めたため後に「猫の家」と通称される)。この家は10年程前に最初の妻と離婚直後の森鷗外が住んでいたこともある。千駄木周辺は帝国大学や上野も近く、数多くの文人が住んでいた。本書は漱石の千駄木時代の暮らしぶり、鏡子夫人の家計のやりくり、同じ町内に住んでいた森鷗外の動向、日露戦争当時の社会情勢など明治末期の千駄木の様子が、森さんの取材を通してよく分かる。今も当時も魅力的な町だ2024/01/15
雨猫
9
伊集院静の「ノボさん」を読んで夏目漱石の人物に興味を持って。漱石がうつ病とは知っていたが家族、特に奥様は大変な思いをしてたんですね。教職が相当イヤだったようだがそれ以外の趣味のことは熱心というのが可笑しい。何が面白いって友人や弟子に宛てた手紙が面白すぎる。「吾輩は猫である」について「高くて売れなくてもいいから立派にしろと云ってやった。売れなくても綺麗な本が愉快だ」など。漱石の書簡を集めた本があればいいのにと思ったらあるではないか!絶対読む!小説も四半世紀ぶりに読み返してみようかな。☆4.52015/05/23
kiho
5
人間味あふれる漱石の一面、いえ多面的な部分が見えて、微笑ましい気分になる☆物語が生まれる背景は、知らなくてもいいことかもしれないが、作家の人となりに触れられる喜びを感じた♪2013/08/11
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