目玉と脳の大冒険―博物学者たちの時代

目玉と脳の大冒険―博物学者たちの時代

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  • サイズ B6判/ページ数 317p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784480812391
  • NDC分類 460.2

内容説明

博物学は、単に地球の財産しらべを行なう学問ではなかった。自然と生物に親しく接し、政治とか宗教とかの色めがねを外した純粋に物理的な自然を記述することと、その自然が私たちの心に送りこんだイメージ―あるいは人間の詩的想像力の源を解明することが、いわゆるナチュラリストたちにまかせられた役割だったのだ。そういう壮大な学問が、かつて成立し、しかもそれに取り組んだ偉大な想像力の持ち主たちが数多く活動していた。このささやかな書物は、いわば目玉と知能とを支えにして地上を歩きまわった人々の生きざまと意見とをまとめたものである。

目次

序 5歳の好奇心
1 コレクターの冒険、コレクションの運命(ビン詰め地獄;水族館の視線)
2 博物誌の正しい作り方(発想をめぐって;文体をめぐって;図像をめぐって;分類をめぐって)
3 ナチュラリストの業績と意見(シャルル・ボネ―見えない博物学者;博物学をきずいた人々)
4 ヤマト舶来本草博物(植物図鑑が育てた洋画;日本の大博物学時代)
終 生命とは何ぞや?―Power とForce

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

袖崎いたる

13
タイトルの目玉とは観察に根差した博物学者を指し、脳とは思索に基づいた哲学者を指す。博物学者の定め(と呼んで差し支えない)として目の衰えが押さえられていて、その学者生命は視力に掛かっているといってもいいとのこと。そして視力を失った博物学者は目による観察の代わりに、脳による思索へと向かう羽目になるわけだ。とはいえ目から得た知は脳によって意味づけられる。本書で言及されている理論にある「証言よりも理論をこそ」というヨーロッパの伝統は示唆的であり、中世ヨーロッパにおける汎知学者の欲望も実現可能であったことに頷ける。2017/04/23

トムトム

1
人間が世界をどう認識していたかの歴史が面白い!博物学の歴史ではなく、あくまでも人間の認識能力の歴史というか。今現在の最先端も、未来人から見たらしょせんそんなもんさ。2019/09/06

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