内容説明
政治におけるパレーシアとは何か―フーコー哲学の到達点を示す最晩年の講義。カント「啓蒙について」からパレーシア概念へ―稀有な哲学者が織りなす最晩年の思考の閃光。
目次
方法についての注釈
カントのテクスト「啓蒙とは何か」の分析
刊行に関する条件:雑誌
キリスト教世界の啓蒙とユダヤ教世界のハスカーラーの出会い:良人の自由
哲学と現在性
フランス革命についての問い
批判の二通りの継承
未成年状態という観念:本来的な無能力でもなく、権利の専横的な剥奪でもない
未成年状態から抜け出ること、批判という営みを行うこと
三つの『批判』の影〔ほか〕
著者等紹介
阿部崇[アベタカシ]
1974年生まれ。現在、青山学院大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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roughfractus02
9
自己への配慮を主題とした前書では、他者への柔軟性をヘレニズム・ローマ期の人々の聴く受動性に見た。これはキリスト教の告白と近代科学が重視した視覚重視の認識を自己に固定する系譜とは異なる。この点を初年度の講義で扱った戯曲『オイディプス王』の再読解で引き出す前書を受け、本書では2つの系譜を為政者の姿勢(自己と他者の統治)を中心にに見る。為政者における真理の語り(パレーシア)に注視した著者は、さらにパレーシアと弁論術の葛藤を『ソクラテスの弁明』から哲学に見て、主体の柔軟な編成をいかに生きるか)という問いに変える。2024/12/31
砂糖 翠
1
カントの啓蒙の話から始まり、どこでこの話がまた帰ってくるのかと思ったらだいぶ最後の方だった。トピックが盛り沢山2022/12/11
レートー・タト
0
冒頭のカント『啓蒙とは何か』の分析を読むと、前年度講義『主体の解釈学』にて、繰り返し述べられていた他者による知識開示と言うモチーフや、それ以前の諸講義・諸著作の内容に、「啓蒙」=「抜け出る」という点を中心に一大連続性を見いだせる。色々な意味で彼の思索のアルファオメガはカントだと思われる。人間主義が余りにも馴染み深いシステムとして根づいている為、人々はそれを監禁的なものと経験していない。フーコーは、「現在性の啓蒙」=「人間主義を監禁的なものに還元する」ことで、そこから「抜け出る」ことを促すのである。2011/01/06
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