内容説明
ヨーロッパの世間と日本の世間。日本の社会とヨーロッパの社会は、どのような共通の場から出発して現在のような違いをみせるようになったのか。世間と個人のあり方の比較を通して、日本社会の特質を明らかにする。
目次
1 「世間」とは何か(「世間」とは何か;「世間」はどのように捉えられてきたのか;隠者兼好の「世間」 ほか)
2 「教養」とは何か(建前と本音;公共性としての「世間」;「世間」の中でいかに生きるか ほか)
3 ヨーロッパを見る視角(「世間」からの離陸;個人の成立;恋愛の成立と新しい男女関係 ほか)
西欧中世における死生観と宇宙観の交錯―プラトンからクサーヌスまで(愛の世俗化と四大元素の変化(その1))
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
アナクマ
20
第1部。世間とは何か《新書あり》 藤村、光晴、慈円ら、古典に親しみがないせいか全体像を結ばず。次のメモを加えていったん閉じる。◉「狭い枠組み(どっこい生きている)」「そこに個人主義(対する社会)」「多重アイデンティティ円の受容と変態」◉(p.16)日本人にとって周囲と折り合ってゆける限りで世間の中で生きる方が、競争社会の中で生きるよりは生きやすい。自分以外の権威に依存して生きている(協調的・没個性的とも)(p.21)日本の個人は、世間との関係の中で生まれている。…とすると、個人の責任とは?問題が発生。2019/12/14
壱萬参仟縁
0
世間の中で、無常とは何か、についても書かれている。言説してきたのは、貴族や僧侶であったという(p.98)。掟にがんじがらめの個人が、自分なりの生き方をしたと思っても簡単ではない。諦めの感情をして、無常と表現してきたという。がんばらないで、肩の力を抜いて、適度な生き方を志向していきたいと思う中年の評者からすれば、無常もまた、世間的には求められる発想だとわかった。2012/04/27