内容説明
「あの世」はどういうところか。「魂」は本当にあるのだろうか。宗教的な観点をはじめ、科学的な見方も踏まえて、死とは何かをまっすぐに語りかけてくる一冊。
目次
第1章 死とはなにか?(死の定義;どの時点が死なのか ほか)
第2章 「あの世」って、どういうところ?(「あの世」という呼び方;さまざまな「あの世」 ほか)
第3章 魂って、あるのかな?(知性と科学の限界;全体性と私 ほか)
第4章 あらためて、死とは何か(プチまとめ;論理の限界 ほか)
著者等紹介
玄侑宗久[ゲンユウソウキュウ]
1956年福島県生まれ。慶應義塾大学文学部中国文学科卒。様々な仕事を経験した後、83年より京都、天龍寺専門道場にて修行。現在は臨済宗妙心寺派福聚寺副住職。デビュー作「水の舳先」が第124回芥川賞候補となり、2001年、「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ふじ
6
父を亡くして沈んでいる母の慰めになるかな? と手に取ったが、死生観というより、仏教哲学の解説という要素が強かった。個人的には面白かったが、母には向きそうにない。50代を前にして死をより身近に感じ始めた世代が”終活”の手始め、下準備のために読むにはよさそう。一休和尚の詠んだという「今死んだどこにも行かぬ此処に居る尋ねはするなものは言わぬぞ」には不思議なほど慰められた。母にも教えよう……。いろはうたが死生観を表現したものだというのも驚き。ドミノの喩え(倒れて波及する様=死滅しつつ生き続ける姿)も心に残った。2018/05/23
むっちょむ
6
なんだかコトバに表すことの出来ない、よーわからん世界がきっとあの世なんだと言いたいんだろうなぁ~、とゆー事がわかった。 仏教とかの本によく書かれてる内容で、表現的には苫米地さんの本の方から読みやすいかも~。2016/02/25
わ!
3
面白いが、やわら難しい事柄を並べ立てて、話を有耶無耶にしてしまっているようにも思える。これは「ワザと」やっているのかもしれない。とにかく「死」についての一冊である。「私が死ぬ」とはどういうことか?。この本にも書いているように、体の中の細胞であれば、毎日次々に死んでいる(入れ替わっている)だからと言って、「私が死んだ」とは言わない。ちなみに物事を「現象」と「物体」に分けた場合、「私」とは「現象」である。時間をとめてみれば分かる。体(物体)は残るが、私(現象)は止まる。これを「死」として考えると面白い。2022/11/24
Haru
3
軽い感じの本かと思いきや、仏教にとどまらず、量子物理学や、脳科学、心理学などへと話が広がり、そもそも人間が揺るぎない現実と信じて認識している世界ってなんなんだろうと、考えさせられて、意外に骨太な内容でした。2017/10/20
nickandhannah
2
新書だからといって、且つ、文体がやさしく読みやすいからといって軽んじてはならない本です。内容は想像以上に濃いです。仏教的観点から「死」について論じられていてとても興味深く学ばせていただきました。共感する部分も多々ありました。しかし、納得できない内容も多くあります。結局、人間の理性では理解しきれない内容が我々の世界には存在するということの確認になったかなと思いました。我々の理性の限界を考えさせられる面でも有益な本かと思います。2019/04/14
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