出版社内容情報
ケアは「弱者のための特別な営み」ではない。あなたが今生きているのは赤ん坊の時から膨大な「お世話」=ケアを受けたから。身の回りのそこかしこにケアがある。
内容説明
他人に迷惑をかけていい!弱者のための特別な営みではない。社会の抑圧や呪縛から抜け出して、お互いがケアし合う関係になろう。
目次
第1章 ケア?自分には関係ないよ!(「迷惑をかけるな憲法」;しんどいと言えない;自分自身を取り戻す;面倒な中に豊かさがある)
第2章 ケアって何だろう?(確かに面倒なのだけれど;自分へのケアと他人へのケア;他者へのケアの前に;互いが気にかけあう)
第3章 ケアが奪われている世界(ケアのないわたし;「昭和九八年」的世界;標準化・規格化の「大成功」の陰で;ケアの自己責任化を超えて)
第4章 生産性至上主義の社会からケア中心の社会へ(生産性とケア;責任の共有化で楽になる;共に思い合う関係性;ケア中心の社会へ)
著者等紹介
竹端寛[タケバタヒロシ]
1975年京都市生まれ。兵庫県立大学環境人間学部准教授。専門は福祉社会学、社会福祉学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
どんぐり
97
「迷惑をかけるな」「頑張れば報われる」といわれ続けてきた生産性至上主義の呪縛から自分を解き放ち、人とつながるケア中心の社会を築くための若者へのメッセージ。そのためには、「他者にどうみられているか」と顔色をうかがい、他者からの評価を気にして生きるのはもうやめませんか、と説く。ここでのケアは、関心を向けること、配慮すること、ケアを提供すること、ケアを受け取ること、共に思いやることの5つ。まずは身近な他者と「違いを知る対話」をはじめること。それが、ケア中心社会に至る「できる一つの方法論」の入り口であるという。→2024/08/22
けんとまん1007
77
最初のほうにでてきた「苦しみ」と「苦しいこと」の違いに、思考が変わった。言語化というのが、数年前から、自分の中で大きな意味を持っていたこともあり、それとリンクして、そういうことかと腹落ちした。最近読んだ本とも響きあうように思う。内田樹さんの勇気論がその一つ。相手に思いを馳せるだけなく、自分自身にも思いを馳せること。with-nessの思考に膝を打つ。人が自立・自律するには、頼る人をどれだけ増やせるかだという熊谷晉一郎先生の言葉も取り上げられている。ケアする・されるは、双方向の姿でもある。2024/08/31
ネギっ子gen
72
【自分自身の「夢を生きる」ために、大切な立ち止まりの機会として、本書を――】忖度したり、空気を読んだり……。そんな社会は息苦しくて生きづらい。お互いがケアし合う関係になるには? 自分のありのままを大切にする「ケアのある社会」とは何かを考えた書。<本書を通じて、日本社会の抑圧や呪縛の世代間連鎖の社会構造をそのものとして学び(直し)、そこから逃れるあり方こそがケア的関係性なのだ、と気づいてほしい。私はそう願っています。自分が悪いと思っている問題は、社会構造的な抑圧や呪縛の個人化・内面化でもあるのだ>と―― ⇒2024/10/03
おたま
70
この本は、ケアはケアでも、まずは自己の内面をケアすること、人と人との関わりをケアすることを正面に据えている。この本が書かれた2023年を「昭和98年」と呼び替えて、未だに昭和の心性が残り、人々を強く拘束しているという。つまりモーレツな働き方で、集団として調整することを重視する(忖度!同調圧力!)が、今もそこかしこで残存している。そこから自己を解き放つことが必要な時にきているが、内から眺めたときに、その囚われている自分を自覚することが難しい。著者は自分の子育ての体験等を経て、少しずつ自分を解放していく。2024/11/02
venturingbeyond
37
部活引率の伯備線車中で読了。自立・自己責任・能力主義・自己肯定感(自尊感情)・迷惑をかけることへの忌避意識などなど、現代日本の生きづらさをもたらす自縄自縛の構造を平易に語り、著者自身の育児体験を基にオルターナティヴを提起する一冊。著者と同世代である自分にとっても、本書で示される生育過程で内面化された男性特権を正当化するあり方とその硬直性がもたらすセルフネグレクトの問題性は、納得できるものであった。「大人の学びは痛みを伴う」の一節が腑に落ちるケアの観点からの学び直し、自己の捉え直しに導く一冊。2023/10/29