出版社内容情報
招集された俳優加東はニューギニアで死の淵をさまよう兵士たちを鼓舞するための劇団づくりを命じられる。感動の記録文学。解説 保阪正康・加藤晴之
内容説明
昭和18年10月、俳優加東大介は大阪中座の楽屋で召集を受け、ニユーギニア戦線へ向かった。日本側の敗色すでに濃いジャングル。死の淵をさ迷う兵士たちを鼓舞するために“劇団”づくりを命じられた。―“舞台”に降る「雪」に故国を見た兵士たちは、痩せた胸を激しくふるわせる。感動の記録文学。
目次
四人の演芸グループ
さようなら日本
三味線の功徳
成功した初公演
スター誕生
墓地に建てた劇場
ニセ如月寛多
本格的な稽古
別れの「そうらん節」
マノクワリ歌舞伎座
演劇分隊の心意気
この次まで生きてくれ
食い気とホーム・シック
南の島に雪が降る
支援全員に見守られて
デザイナー隊長の加入
ワイが女になるんや
蛍の光
七千人の戦友
著者等紹介
加東大介[カトウダイスケ]
俳優。本名、加藤徳之助。明治44年東京浅草生まれ。東京府立七中を経て、昭和4年に二代目市川左団次の門に入り、市川莚司を名乗る。昭和7年前進座に入座。18年衛生伍長として応召、21年に復員。戦後は舞台、映画、テレビで活躍した。昭和50年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
yoshida
87
昭和18年10月、俳優加東大介は召集を受け、ニューギニア西部のマノクワリへ赴任する。米軍は東ニューギニア攻略後、フィリピンへ侵攻。著者はたまに空襲を受けるが大きな戦闘は逃れる。補給もなく、内地へ戻れる希望も薄く兵の心は荒れる。その為、著者を中心に演芸分隊が設置され「マノクワリ歌舞伎座」を運営。兵士はマノクワリ歌舞伎座に遠い内地を見、また、家族、故郷への郷愁を強くする。東北出身の部隊が雪の場面を見て皆が涙する所、敗戦後、復員がたまたま劇場で発表され、演者と観客で蛍の光を歌う所に涙した。名作と思う。2015/05/09
ころりんぱ
56
戦争、特に南方戦線を書いた本はたくさんありますが、こんなにユーモアにあふれ明るい気持ちで読める本があったとは驚きでした。著者の加東さん自身が班長の演芸分隊「マノクワリ歌舞伎座」…食糧にも事欠くジリ貧の戦場で、兵士の士気を上げるべく立ち上げられた寄せ集めの演芸集団が、知恵を出し合い、舞台装置、衣装、カツラまで現地調達品でなんとかする。そのプロ根性と役者魂には感動します。餓え、病気、爆撃、いつ終わるとも知れない戦争…絶望のジャングルの中で光溢れる舞台に雪が降る。想像しただけで震えます。2015/10/10
かおりんご
47
ずーっと読みたかった一冊。やっと入手することができました。このお話は、以前映画で見たことがあります。そのときも切なさを感じたけれど、原作はもっともっと切ないですね。爆撃で死ぬよりも、餓死する方が多かったなんて・・・篠原軍曹は、小林よしのりさんのおじい様だそうです。これまた不思議なつながり。2015/04/26
あなほりふくろう
37
涙と共に一気読み。大戦中のニューギニア戦線、マノクワリ。この見捨てられた戦地で飢えや病苦に苦しむ兵士たちを演劇で支えた男たち。そこのあったのはただの娯楽だけではない、戻れるとも思えない故郷の景色であり、家族であり、そして希望であり。観ずに死ねるかと自らを鼓舞した者、観て満足して死んでいった者。生と死の狭間でどれだけの救いとなったのだろう。芸能の持つ力がどれだけ素晴らしいものか。文章も淡々と、どこかユーモラスな筆致で、でも根底にある過酷な現実もしっかりと伺い知れる。この手記が書かれたことを有難く思いました。2016/01/30
あきあかね
32
理由は分からないが、どうしても忘れられない映画のワンシーンがある。小津安二郎監督の遺作である『秋刀魚の味』。ストーリーの本筋とは関係ないのだが、あるバーで「軍艦マーチ」の音楽をかけて、客の加東大介と笠智衆、マダムの岸田今日子が敬礼ごっこをする場面がある。ユーモラスな場面であるのに、部下で一兵卒だった加東が、上司の元艦長の笠に「ねえ艦長、艦長もやってくださいよ、ねえ」と、一緒に敬礼を行うよう促す声に何とも言えない凄みのようなものが感じられて、忘れられない場面となっている。⇒2019/08/02