内容説明
戦国の世から徳川の泰平の世への転換に伴って、戦士の作法であった「男道」は色あせ、役人の心得である「武士道」へと様変わりする。江戸前期に鳴らした「かぶき者」が幕府から弾圧されると、「男」を継承したのは江戸の藩邸が雇い入れた駕篭かきなど町の男達だった。武士が武威を彼ら荒くれ男に肩代わりさせた結果…。武士道神話、任侠神話を豊富な史料をもって検証する「男」の江戸時代史。
目次
1章 男とはなにか
2章 逸平と金平
3章 任侠の精神
4章 男の色
5章 新しい男たち
6章 されど武士の一分
7章 悪の華
8章 戦士失格
9章 ノーブレス・オブリージュ、ヤクザ
著者等紹介
氏家幹人[ウジイエミキト]
1954年福島県生まれ。東京教育大学文学部卒業。歴史学者(日本近世史)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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姉勤
38
男を磨く、男を上げる…中世のかぶき者以前より、権力や困難に対する力(暴)を発揮する事で誉れをあげ、結果的に公益にも繋がった戦国以前。命を軽んずる刹那感は、一転し平和維持が第一となった江戸時代は、武士は官僚化し、代わりに町民や、火消し、博徒の価値観となった。時代は下り、その価値観は任侠(ヤクザ)に受け継がれている(いた)。現代、反社会的、暴力的とカテゴライズされる人間の行為でも、賞賛といわぬまでもシンパシー、ある意味「美学」として日本人に容認される「侠気」。少年誌の元ネタや映画や講談。実際は迷惑ではある。2016/08/17
fseigojp
19
生き過ぎたりや二十五才の春 逸平 マッチョな文化というのは、どの社会にもある 司馬遼太郎の明石屋万吉、池波正太郎の幡随院長兵衛が読みたくなった2015/08/03
六点
16
日本における戦場は、1637年の島原の乱を最後にあとを絶つ。武士が「かぶき者」として生きることは禁圧され、公務員化していき、武家奉公人のそれは、博徒などのヤクザの世界へ拡散していった。幕末に至れば、立派な武士である川路聖謨が縛に付いた盗賊に「侠気」を見出したりしているのである。維新を過ぎ、憲政が始まっても、吉田磯吉の叙位理由にヤクザ出入りそのものの、企業間調停が挙げられている。日本の近世から近代、現代に衰微しつつも流れ続ける「男」の血脈を描いている。「男」ってなんなのでしょうね?と、男のぬこ田は疑問に思う2021/06/02
ヨーイチ
16
面白かった。色々と示唆に富む逸品。武士道と何と無く理解されている物が江戸中期頃の物で、ましてや、鎌倉武士の一所懸命や戦国時代と殆ど関係がないということを、再認識した。ただこれがないと、ドラマにならないんだなあ。江戸時代とは久し振りに、「命が重くなった時代」なわけで、価値観が大きく変わったにも関わらず、勇者を演じなければならなかった、当時の平凡な侍には辛い事も多かったに違いない。本書によって陸尺、男伊達、金平浄瑠璃、盲長屋などの言葉が一層鮮明になった。続く。2013/06/02
遊々亭おさる
12
命を賭けて戦に挑み、敵を殺めることがその生きざまであった戦士としての武士。その作法であった『男道』は、時代の推移と共に役人の心得である『武士道』に様変わりをする。幕末においてはその武士道さえも形骸化し、平和ボケの武士たちに対して『武士道マニュアル』が出来る始末。さて、内憂外患の時代に歌を忘れたカナリアである武士に変わり、戦士としての役割を肩代わりして男道を体現したのは…。武士道とやくざにおける任侠道は親を同じくする兄弟のような関係だと説く一冊。武士と庶民の関係が逆転する痛快さの裏にある日本人の病巣とは…。2015/01/27