出版社内容情報
江戸時代、商家の内儀・三井清野のゴージャスでスリリングな大観光旅行。総距離約2420キロ、旅程108日を追体験。
内容説明
文化14年(1817)、鶴岡の裕福な商家の内儀・三井清野は、羽州鶴岡から日光、江戸、伊勢、京都、大阪、新潟そして鶴岡へと総距離2420キロ、総日程108日の大旅行を敢行している。江戸藩邸の見学、遊郭見物、関所抜け、買い物三昧…ゴージャスでスリリングな「大観光旅行」を残された日記をもとに追体験する。
目次
女郎沢山にて、賑やかなこと言うばかりなし―羽州鶴岡から、日光へ
若殿様おいでなくば、お座敷をお見せ申したし―大江戸見学
通し下されよと申せば、脇道を教えて通し候―東海道から伊勢へ
鉾を見候ところ、誠に誠に目を驚かすばかりなり―奈良、大坂、京都
だんだん山越え、又茶屋あり。ここにて酒あり―北国路から家路へ
著者等紹介
金森敦子[カナモリアツコ]
1946年新潟県生まれ。『江戸の女俳諧師「奥の細道」を行く―諸九尼の生涯』で日本エッセイストクラブ賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
かっぱ
35
羽州鶴岡の三井清野さんの旅日記。清野の祖父である三井家の初代弥惣右衛門は、伊勢の片野から羽州鶴岡に移住してきた人物。三代目弥惣右衛門の初めての子供が清野。幕末の策士・清河八郎とは姻戚関係にある。結婚して第一子を生んだのが十八歳の時。三十一歳の時に鶴岡から日光、江戸、伊勢、大阪、京都、金沢、新潟、善光寺(長野)などを巡るこの壮大な旅に出た。五歳年上の夫から旅に出て人生を深めることを勧められたためだ。馬や駕籠を使うこともあったが、総距離2420キロ、108日間の大旅行。読後は清野さんと一緒に長旅を終えた気分。2018/06/12
saga
35
たいへん楽しく読ませてもらった。それは著者の努力の賜物だろう。羽州鶴岡から日光、江戸、伊勢、京都と旅した清野の日記を基に、当時の旅人の紀行文や、各所の名所図会など小さいながらも挿入して、実際に清野さん達と仮想江戸旅行ができた。これだけ他の史料を縦横に引いても、清野が記した言葉・単語の意味が不明なものもあり、下手に意訳や推測を加えない著者に好感を覚える。旅籠での逗留の場面で、イザベラ・バードの奥地紀行が頭に浮かんだが、清野は蚤・虱に悩まされることはなかったのだろうか?2016/12/25
whitespring
2
羽州鶴岡の裕福な商家の三井清野さんが108日間に及ぶ道中記。馬や籠に乗るとしても、長期間に及ぶ旅は体力を要求されたであろうけども、精力的に好奇心を満たす行動には驚いた。2021/05/08
しのぶ
2
『東海道でしょう!』で紹介されていた本。山形の商家の奥様である清野さんが、副題の行程を馬だの駕籠だの船だのを使いつつぐるりと辿った旅日記。すごい。凄すぎるよ、清野さん。好奇心旺盛で美味しいもの大好き。旅にお土産物はつきもので、おやつに目がないっぽいのも親近感。全行程分のみではなく、せめて各章ごとの地図もつけておいて欲しかったと、その点だけが残念でした。史料のひとつとして読んだのだけど、そうか、『日本名所風俗図会』を眺めてみるのもよいのだな、と思い出させてもらえたのも大収穫。2015/06/06
真理そら
0
「姥ざかり花の旅笠」(田辺聖子)は九州筑前の商家の内儀が53歳で伊勢善光寺日光の800里を旅した記録だった。これは山形鶴岡の商家の内儀が日光伊勢京阪奈善光寺を600里旅した記録。この旅人きよのさんの日記は31歳という若さのせいか現代の女性と同じようにファッションや食べ物や買い物に意欲的なのが面白い。特に買い物は爆買いというか大人買いというか…。驚くのはこの時代の日本はどの地方も観光を商売にするシステムが出来上がっていたことだ。2017/05/14
-
- 電子書籍
- 「戦争体験」の戦後史 世代・教養・イデ…
-
- 和書
- われらカレー党宣言