出版社内容情報
少なくともあの一夜だけはあの人を愛していたのだと思う──。
あの人は、あり過ぎるくらいあった始末におえない胸の中のものを誰にだって、一言も口にしない人だった。時を共有した二人の世界。【解説: 新井信 】
内容説明
「あの人は、あり過ぎるくらいあった始末におえない胸の中のものを、誰にだって、一つだって口にしたことのない人だった。では、どのように始末したのだろう、小説ではなかったか?小説の中には悔しい向田さんがいる。泣いているあの人がいる」。二十年以上つかず離れずの間柄であればこそ、見えてくることがある。凛としているが、親分肌でそそっかしい向田邦子の素顔。
目次
触れもせで(遅刻;財布の紐;漱石;名前の匂い;爪 ほか)
夢あたたかき(待ち合わせ;縞馬の話;ひろめ屋お邦;昨日のつづき;転校生 ほか)
著者等紹介
久世光彦[クゼテルヒコ]
1935‐2006。東京生まれ。東京大学文学部美学科卒業。演出家、プロデューサーとして「寺内貫太郎一家」、「時間ですよ」などテレビ史に残る数多くのドラマを制作した。92年「女正月」他の演出により芸術選奨文部大臣賞を受賞。作家活動としては94年『一九三四年冬―乱歩』で山本周五郎賞、97年『聖なる春』で芸術選奨文学部門文部大臣賞、98年紫綬褒章など数々の賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
おさむ
45
「同士でもなければ、戦友でもなく、かと言って師弟でもなく、男と女でもなかった」。脚本家と演出家という絶妙な距離感が生んだ良質のエッセイ。向田さんの描く家族の団欒はいつもどこかにほろ苦い味が残る。向田さんが父から教わったのは、人生悪いことばかりじゃない、というたった一言だった。本当にいい話は芝居にも小説にもならない。人生にはかなわない。向田作品は人間の裏側に廻り、その人が見せたがっていないものを見てやろうというアングルはない。ただ、正面から見て透けて見えるものは書いた。久世さんも負けず劣らず名文家です。2017/05/09
ばんだねいっぺい
31
「触れもせで」の久世さんの距離感から見える「向田邦子」の姿は、またまた、魅力的だ。独り言と異なり、他者からの一言は、ドキリと胸を刺す。2023/07/04
緋莢
26
講談社から発行された『触れもせで 向田邦子との二十年』、『夢あたたかき 向田邦子との二十年』を1冊にまとめ、タイトルを改めた本。演出家として多くの作品を共に作ってきた 脚本家・向田邦子との事を書いたエッセイが収録されています。「私立向田図書館」では<訊けばたいていのことは教えてくれた。博覧強記というのとは、ちょっと違う(中略) 向田さんの知識は暖かい温度のようなものを感じる知識であった>、<知りたいことを手短かに話してくれて、その後に手紙の追伸のように気のきいたワンポイントの付録がついてくる>(続く 2018/08/10
neimu
16
死んだ後もラブレターとしか思えない話を延々と綴られる作家、向田邦子を羨ましく思う。両親の世代の彼女は大学時代憧れの人だった。そしてあっという間に消え去ってしまった。もう彼女の享年を超して生きる私は、8月、向田邦子関連の本を読みたくなる。ひたすら昭和を恋しく思い、両親の姿を重ね、家族、仕事、生き方、親子、恋愛、色んなことをを考える。久世光彦がこれだけ重ねて書いてもちっとも嫌みにも憐憫にもならずに淡々と愛を語れる、思い出を語れる、そういう関係をただただ羨ましく思う。このように生きて逝った人を素晴らしく思う。2013/08/06
ぐうぐう
6
ゆかりのある人が、亡き向田邦子との思い出話を綴ったエッセイは数あるが、本書はそれらとはまったくレベルを画した内容となっている。久世光彦は、彼女との関係をことさら特別なものと自慢げに書かない。それどころか、彼女のエピソードを綴るとき「それらのシーンに脇役として自分がいると思うと、なんだかとても書き辛くなってきた」とさえ吐露する。だから久世は、ひたすら自分が見た感じた向田邦子という人物を、丁寧に描写しようと徹する。その誠実な文章が、しかしやがて、二人の特別な関係性を浮かび上がらせていく。2010/01/15