内容説明
古代文明研究者ミシェルは、新婚旅行の最中に発病、死の危機に瀕するが、美しい妻マルスリーヌの献身的な看病で快癒し、強烈な“再生”の歓びを体験、初めて妻と交わる。だが、悲劇の幕はそこで開く。死産ののち病を重ねる妻を、手厚く介抱しつつも少年愛に傾く夫。愛情か欲求充足か、自由か責任か…アフリカ、イタリア、フランス、スイスを舞台に、死と生を両極に見すえて展開される格調ある背徳のドラマを、永くジッドを温めてきた訳者の新訳でおくる。
著者等紹介
ジッド,アンドレ[ジッド,アンドレ][Gide,Andr´e]
1869-1951。フランスの作家。小説、随筆、評論、日記、詩、戯曲、翻訳、書簡など、多様な形式を用いて文学の限界を広げ、変化、生成する人間の姿をさまざまな角度から描き出した。苦悩にみちた青春から晴朗な老年まで、常に自由な精神を持って十全に生き、数多くの名言を残したモラリストでもある
二宮正之[ニノミヤマサユキ]
1938年、東京生まれ。1965年以来、在欧。ジュネーヴ大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ケイ
115
背徳には宗教的な響きを感じる。原題は、アンモラリスト。道徳なき人。それなら理解しやすい。愛してくれる優しく美しい妻より、若いきれいな男の子にひかれるミシェル。少年を見た時の心の高揚が、読み手にも伝播する。尽くしてくれる妻をかえりみず、自分の興味を優先させたとしても暴力をふるうわけでない。しかし、神には背いているということだろうか。もっと自分に自信をもって振る舞えばよかったので、自らの精神的な弱さにどっぷりと浸っていることが何より独善的にみえる。 2016/03/18
NAO
61
ミシェルからは、「背徳者になりたいのに、あまりにも厳しくしつけ良く育てられてしまったがために背徳者とはなり得ずにおろおろしている人」という印象を受けた。ミシェルが背徳主義に徹することを控えることになったのは、自分の性癖に対する罪の意識だけではなく、自分の命の恩人である美しい妻へのプラトニックな愛があったからだろう。だが、妻が死んで精神的なタガが外れたとき、欲望に忠実になるのではなく友人たちに助けを求めた彼の態度は、作者アンドレ・ジッドの限界を示しているのだろうか。2016/11/27
左手爆弾
4
月並みな表現ではあるが、生と死とが鮮やかに交差する一書だと思われる。前半の肉体が快癒に向かうまでの過程をきちんと書いているのがいい。肉体が復活することによって情欲が生まれ、倒錯も生まれる。しかし、訳者も指摘するように、ミシェルは背徳の道をひたすら邁進するようなこともない。どこか、徹底的に地に足のついた生き方を選んでしまっているようにも読める。もしかしたら、そのあたりこそが「背徳」たる所以なのかもしれないが。訳註が時々ネタバレを含んでいるので、欄外ではなく文末中にするべきだった。正直読書の邪魔だった。2016/04/19
もJTB
4
風立ちぬの主人公は飛行機つくってたけどこの主人公はそれもない、なので飛行機もつくらないしただただ色んな男とイチャつく、だけど傍らで妻が病で弱っていくのは風立ちぬのまま、というような話だ、マジか極まってるなと思った、でも身勝手を描くことの真実ともいえる、だって他所でソイツが偉大だろうが不毛だろうがそれは身勝手の埋め合わせにはならないのだ。2015/01/03
camus
2
アリサにもジェルトリュードにもそこまで感じなかったけど、マルスリーヌはかわいそうだと思ってしまった。最後に信仰も捨ててしまうし。ジッドの生涯のテーマって自由と規律の間を愛と幸福の観点から揺れ動くところにあるんだろうなぁ。ミシェルは妻の看護を中断しメナルクに会いに行くが、妻の容態が急変し胎児は死んでしまう。妻の療養にノルマンディで過ごすが密猟に手を貸し自分の土地を売り払う。妻を療養目的で色々な土地に連れ回すが旅先で看護を放棄し度々外出してしまう。マルスリーヌはミシェルの背徳のたびに病状が悪化し死んでしまう。2015/09/12