ちくま学芸文庫<br> マネの絵画

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ちくま学芸文庫
マネの絵画

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  • サイズ 文庫判/ページ数 368p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480099075
  • NDC分類 723.35
  • Cコード C0171

出版社内容情報

19世紀美術史にマネがもたらした絵画表象のテクニックとモードの変革を、13枚の絵で読解。フーコーの伝説的講演録に没後のシンポジウムを併録。

内容説明

マネに関する著作『黒と色彩』を準備し、執筆のための夥しい量のメモを取っていたミシェル・フーコー。彼は生前「マネの絵画」と題する4回の講演を行っていたが、その伝説的講演を収めたものが本書である。19世紀以降の美術史にマネがもたらした絵画表象のテクニックとモードの変革を捉え、マネの13枚の作品に沿ってスリリングな読解を試みた講演記録の完全版。さらに、それをめぐって2001年秋に行われたシンポジウム「ミシェル・フーコー、ひとつのまなざし」を併録する。カラー口絵収録。

目次

第1部 マネの絵画
第2部 ミシェル・フーコー、ひとつのまなざし(チュニジアのフーコー(ラチダ・トリキ)
マネ、あるいは鑑賞者の戸惑い(キャロル・タロン=ユゴン)
表/裏、あるいは運動状態の鑑賞者(ダヴィッド・マリー)
「ああ、マネね…」―マネはどのように“フォリー・ベルジェールのバー”を組み立てたか(ティエリー・ド・デューヴ)
フーコーのモダニズム(カトリーヌ・ペレ)
美学における言説編成(ドミニック・シャトー)
美術とおしゃべりな視線(ブランディーヌ・クリージェル)
イメージの権利(クロード・アンベール))

著者等紹介

フーコー,ミシェル[フーコー,ミシェル] [Foucault,Michel]
1926年フランス・ポワティエ生まれ。高等師範学校で哲学を専攻、ヨーロッパ各国の病院・研究所で精神医学を研究する。1969年よりコレージュ・ド・フランス教授。1984年没

阿部崇[アベタカシ]
1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程を単位取得退学。パリ第十大学で博士号(哲学)取得。専攻、フランス文学・現代思想。現在、青山学院大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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nobi

63
1971年、地中海に面したチュニジアの首都チュニス。そこでのフーコーの講演録からは会場の熱気が伝わってくるよう。哲学者が19世紀の絵画と向き合い思索を巡らす、その講演会の開催を思い立つ、人が集まる。なんと伸びやかな文化の気風。ただ30年後の10人余りの美学・哲学家の論考含め、多くは形態分析か分析への論評に終始し、それがなぜ人を魅了するのか、に触れていない?その違和感を救ったのは訳者阿部崇氏の解説。精密ロボットのような論考群にも再読の気を起こさせ、マネの絵画が発している根源的な問いかけを汲み取らせてくれる。2023/01/03

ハイポ

17
キャンバスの中の世界にのみ鑑賞者の目を向けさせる(キャンバスの物質性の隠匿)のが、15世紀以降の絵画。キャンバス自体、そしてキャンバスの外に鑑賞者の目を向けさせる(キャンバスの物質性の露呈)のが、マネの絵画。その手法は以下3点。①キャンバスの四辺と平行である水平線および垂直線を絵画の中に多用。また、壁、闇、鏡などにより、描かれた空間の奥行きを塞ぐことで、キャンバスの奥行きのなさをその絵画にも表す。これら手法は、描かれているものがキャンバスの中にあることを我々に想起させる(《マクシミリアンの処刑》など)。2022/11/29

春ドーナツ

14
今年も長い夏の頃からフランス現代思想の地平の端っこをおどおどスコップ片手に歩んでいる。サルトル、メルロ=ポンティ、デリダに続いてフーコーも講演録から掘り始めた。マネのタブローにも親しんでいるし、何とかなるのではないか、と。過日読んだ図版満載の解説書の内容の繰り返しだったのかどうかは、覚えていないので、フーコーの指摘に口絵を逐一見ながら、マネの斬新さというトポスで鑑賞した経験がないので、新鮮で深くて興味深い内容だった。86ページで幻だった講演録は終わる。シンポジウム参加者たちの論文はフーコーより難解でした。2024/11/17

roughfractus02

10
著者のマネ論と2001年のシンポジウムを収めた本書は、3次元を2次元に封じる写実化の道を歩む絵画史がマネによって覆された点に注目した。19世紀の写真の発明が写実化を推進すると、絵画は2次元(タブロー)でしかないことを逆手に取った表現法の開発へ舵を切った。この時代『オランピア』のスキャンダルで名を馳せたマネだが、本書は遠近法的消失点が分散した『フォリー・ベルジュールのバー』や視点のつぎはぎのような『草上の朝食』がタブローの中にタブローを描き、意味や対象を表す表現を拡張する力を絵画に与えた点でマネを評価する。2024/12/11

井蛙

9
芸術というものの役割が、我々がその上に安住している日常性にひびを入れることにあるのだとしたら、芸術それ自体の物質的な形式性を透明化し、日常世界を括弧に入れることで、人々に麻酔をかけようとするような作品(あらゆる大衆化された文学・絵画・映画等々は、多かれ少なかれそうだが)は、芸術としては堕落したものである。モネはそれまで人々が忘却するよう仕向けられていた絵画の物質性を、その作品の中に実現することによって、本質的に不快でもどかしく、我々怠惰な鑑賞者の安全を蝕まずにはおかない芸術の芸術性を明らかにしたのである。2020/05/06

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