出版社内容情報
「戦後」とは何か。敗戦国が背負わざるをえなかった「ねじれ」を、私たちはどう克服すべきか。戦後問題の核心を問い抜いた基本書、復刊。解説 内田樹
内容説明
戦後の日本人は、なぜ先の大戦の死者をうまく弔えないのか。なにゆえ今も、アジアへの謝罪をきちんと済ませられないのか。なぜ私たちは、占領軍に押しつけられた憲法を「よい憲法」だと感じるのか。このような敗戦の「ねじれ」の前に、いま、立ちどまろう。そうでなければけっしてその先には行けない―。新しい大戦の死者の弔い方、憲法の「選び直し」など、ラディカルな問題提起により大論争を巻き起こした本書は、そこでの警告がことごとく現実となったいま、喫緊の戦後問題を考える上で不可欠の一冊となった。内田樹・伊東祐吏の両氏による充実の解説2本を付し、ここに再刊する。
目次
敗戦後論(戦後の起源;ねじれと隠蔽;分裂の諸相;よごれ―大岡昇平を想起する)
戦後後論(太宰治と戦後;文学とは何か;戦後以後)
語り口の問題
著者等紹介
加藤典洋[カトウノリヒロ]
1948年、山形県生まれ。文芸評論家。早稲田大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒業。『敗戦後論』で第9回伊藤整文学賞受賞、『言語表現法講義』(岩波書店)で第10回新潮学芸賞受賞、『小説の未来』(朝日新聞社)と『テクストから遠く離れて』(講談社)で第7回桑原武夫学芸賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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1 ~ 4件/全4件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
佐島楓
63
読みにくくはない文章なのに、頭の中に入りにくい内容だった。著者の中にももしかすると「ねじれ」が存在するのかもしれない、と少し思った。戦争体験者と、そうでない者との「ねじれ」。ちょっとこのいまひとつつかめなかった部分を獲得するために、もう一度精読してみるつもりである。2017/03/08
ころこ
41
著者によると、戦後には2つの「ねじれ」があるといいます。ひとつは憲法に代表される戦後平和の価値が、敗戦という結果とアメリカの暴力によって押し付けられた過程です。もうひとつは、敗戦によって我々の「善」の所与が奪われ、いわば「ねじれた」かたちでないとそれがやってこないことにあります。このうち、後者が分かり辛いのですが、昔も前者が理解されず、今もって前者が理解されたとは言い難い状況にあることを、大澤真幸は精神分析の言葉で「排除」と呼んでいます。さて、問題は後者にありますが、本書は後者の分かり辛さに貫かれています2019/11/12
壱萬参仟縁
26
1997年初出。なぜ日本、日本政府は、速やかに戦後責任をまっとうしないのか。根源に、戦後日本社会における国民の基体の不在、戦後日本人の人格分裂があると考える(067頁)。正しくないことを、正しいといいつのれば人格は分裂せざるを得なくなる(081頁)。安倍首相の欺瞞的虚偽に100万人の日本人は集結したのだ。必要なのは、この社会が謝罪できる社会になること、謝罪主体の構築である。方途は、人格分裂の克服以外ない(112頁)。2015/09/17
yumiha
24
「悪から善をつくるべきであり、それ以外に方法はない」は、はるか天上の「真理」や胡散臭い「正義」を前提に物事を考えるのではなく、繰り返される歴史の醜さ・愚かさを引き起こすものが自分の内にも存在する人間の本質だから、そこを起点とすべしと理解した。それは『カラマーゾフの兄弟』の苦悩や『歎異抄』の思想と同じものだと思った。また、引用されていた竹田青嗣に興味を持った。これまで戦争を賛美し戦意高揚に協力した文学者には不信感を持っていたのだが、「社会的なリトマス紙で文学を判定する」態度は間違っていると指摘されたからだ。2016/09/16
しゅん
23
敗戦により日本は、現在の価値観に立とうとすると自分達を滅亡に追い込んだものを祝福せざるを得ないという「ねじれ」を背負い込むことになった。護憲派も改憲派も、左翼も右翼もこのねじれに無自覚である限りは死者に向き合えない空虚な存在であり、両者は根を同じくした分裂人格の両面に過ぎないという批判は、今の時代に至りより痛烈さを増している。敗戦と向き合った大岡昇平や太宰治の言葉から文学の本質へと踏み込んでいく論はスリルに満ちているし、アーレントの「語り口」に関する考察も面白い。日本の文化全般に関わる問題提起の書。2017/05/06
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