ちくま学芸文庫<br> 「聴く」ことの力―臨床哲学試論

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ちくま学芸文庫
「聴く」ことの力―臨床哲学試論

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  • サイズ 文庫判/ページ数 288p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480096685
  • NDC分類 104
  • Cコード C0110

出版社内容情報

「聴く」という受け身のいとなみを通して広がる哲学の可能性をさまざまな形で問い直し、ホモ・パティエンスとしての人間を考察する著者の代表作。

内容説明

「聴く」―目の前にいる相手をそのまま受け止めるいとなみが、他者と自分理解の場を劈く。本書は、不条理に苦しむこころからことばがこぼれ落ちるのを待ち、黙って迎え入れる受け身の行為がもたらす哲学的可能性を模索する。さらにメルロ=ポンティ、ディディエ・アンジュー、レヴィナスなどを援用しつつ、ケアの現場や苦しみの現場において思考を重ねることで、「臨床哲学」という新しい地平を生み出した。刊行以来、多くの人に影響を与えた名著が文庫で登場。第3回桑原武夫学芸賞を受賞。植田正治の写真とともに贈る。

目次

第1章 “試み”としての哲学
第2章 だれの前で、という問題
第3章 遇うということ
第4章 迎え入れるということ
第5章 苦痛の苦痛
第6章 “ふれる”と“さわる”
第7章 享けるということ
第8章 ホモ・パティエンス

著者等紹介

鷲田清一[ワシダキヨカズ]
1949年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪大学総長などを経て、京都市立芸術大学理事長・学長、せんだいメディアテーク館長。専門は哲学。現象学をベースに、臨床哲学、モード批評などを幅広く展開する。主な著書に『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫、サントリー学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

(C17H26O4)

74
思うところがあり「聴く」ということについて知ることを目的に読むことにしたのだが、自分を考えることに繋がった。わたしは共振共鳴(共に感じられているかどうかは分かり得ないと思うので共感ではない)してしまいやすい性質だと思っている(人から苦笑されることもあるし)。そういう性質にある自分の心の動きについて、意味や理由を説明してもらい、更には肯定してもらったような気がして気持ちが落ち着いた。もっと早く読めていたらとも思うが今だから読んだのだろう。本は付箋だらけ。未消化のところが多々ある。要再読。次回はノートを取る。2022/06/06

アナクマ

43
3章_他者とのあいだに生じる沈黙や間(ま)、補完性の考察。割れやすい卵と鉋くずの例えが理解を助ける。そして、自分の特異性と単独性(=アイデンティティ)は、他者との「偶然的な」関係に根拠があるという。つまり、他者とは「遇う」のだと。◉4章_宇野千代の人生相談や自閉症児の父親の言葉に材をとり、言葉をキャッチしてもらえることの安心感について掘り下げる。「まとめの交換がこの子を納得させる。物語の共有と言ってもいい」。さて、誰かが聴いてくれることが自分を支えてくれるというのは、いったいどういうことか。つづく。2022/01/09

アナクマ

40
冒頭「哲学はこれまでしゃべりすぎてきた」に掴まれる。「聴く」が行われる現場で、話者・聞き者双方に起こることを哲学的に掘り下げている。のだと思う。1999年刊行の試論。◉自分には難しく、半分は理解不能。けれど、重要な事が語られているとも感じるので再読必至。◉自己の領域は、自分の手の届く範囲ではなく、他者の手が自分に触れた(と感じられた)ところから内側。なのかもしれない。他者にふれることで自己も変わり得る、その変化を掬い取り、寿げる者でありたいと思う。などと分からないなりに初読の感想。2018/02/12

アナクマ

33
7章_享ける(うける)ということ。目的や必要があったり、効果を求めてなされるのではない世話、それがケアだそうだ。考えてみれば「ひとは生まれ落ちたらすぐに他者への全面的な依存関係に入」り、その全存在をケアされる。死に際もそう。言い換えればケアとは、誰かのために時間を差しだすことだが、負担はもちろんある。◉著者は問う。共に居ること(ケア)と、それで疲弊してしまわないように距離をおくこと、この両立は成るのか? 次章「歓待」に続く。2023/03/04

アナクマ

31
負債とホスピタリティとの違いを考える部分ではニーチェやベルクソン、E・リーチ、レヴィナスが引かれ、やがてケアとシンパシーに話が還って筆が置かれる。この負債のくだりや、「居ること」はゼロではない、生まれてすぐに全面依存に入る、道にうずくまる人、何の目的もなくいっしょにぶらぶら歩くこと、このあたり、また読もう。◉(168)ことばがふれる、あるいは届くというこの出来事は…からだを撃つ、あるいは皮膚にまとわりつくということではすまない。…ひとの存在に大きな「ぶれ」を呼び起こし、ついには「ふれ」させもする。2020/09/17

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