ちくま学芸文庫<br> 宗教生活の基本形態―オーストラリアにおけるトーテム体系〈上〉

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ちくま学芸文庫
宗教生活の基本形態―オーストラリアにおけるトーテム体系〈上〉

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  • サイズ 文庫判/ページ数 536p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480096210
  • NDC分類 163
  • Cコード C0114

出版社内容情報

宗教社会学の古典的名著を清新な新訳で。オーストラリアのトーテミスムにおける儀礼の研究から、宗教の本質的要素=宗教生活の基本形態を析出する。

内容説明

宗教の本質的要素=宗教生活の基本形態を明らかにした、古典的名著である。上巻には、序論「探求の目的」と、宗教の定義を検討しアミニスム、ナチュリスムなどの主要学説を批判した上でトーテミスム研究の略史を扱った第一部「前提問題」、さらに第二部「基本的信念」のうち、トーテミスムの概念を掘り下げ、その原理であるマナの概念を析出する第七章までを収録。

目次

探求の目的―宗教社会学と認識の理論
第1部 前提問題(宗教現象と宗教の定義;基本的宗教についての主要な見解(アニミスム;ナチュリスム)
基本的宗教としてのトーテミスム―問題の歴史 これを取り扱うための方法)
第2部 基本的信念(本来的にトーテム的な信念(名前と記章としてのトーテム;トーテム動物と人間;トーテミスムの宇宙論的体系と類の概念;個人的トーテムと性的トーテム)
これらの信念の起源(諸学説の批判的検討;トーテム原理ないしはトーテム的マナの概念と力の観念;トーテム原理ないしはトーテム的マナの概念の発生))

著者等紹介

デュルケーム,エミール[デュルケーム,エミール] [Durkheim,´Emile]
1858‐1917。フランスの社会学者。コントに始まる社会学を近代的な学問として確立した。ウェーバーの歴史主義的方向性に対して、自然主義的アプローチで知られる。ボルドー大学で教鞭をとり、『社会分業論』や『社会学的方法の基準』、『自殺論』を執筆。のちにソルボンヌ大学に転じ、『道徳教育論』などを著す。その研究成果は宗教学や人類学をはじめ多様な学問分野に広く影響を与えた

山崎亮[ヤマザキマコト]
1958年生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程中退。現在、島根大学法文学部教授。宗教学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

34

14
前半の原論的な部分は、シンプルな力強さがあって、たぶんいまでも立ち返って吟味するだけの値打はありそう。ただし有名な「聖/俗」の対立概念は、典型的に西洋的なカテゴリーを非西洋社会に投影しているようにしか見えないし、いま読む価値があるかどうかは微妙。「儀礼」について論じられている第3部を含む下巻に期待しているのは、空虚な身ぶりとしての儀礼こそ、どんな宗教的な「信念」よりも根源的に宗教的なカテゴリーなのだ、みたいな議論になればおもしろそうだなとおもってのことだが、たぶんそうはならない。2017/03/09

てれまこし

7
人間の思考の枠組みとなる概念は宗教的経験から生まれた。そして、宗教的経験とは社会的経験である。日常によって分割された個が、集団心理のなかで自己を超え、全体へと合一する瞬間である。この概念の社会的基盤の発掘は認識論を覆す。社会科学とは自然現象に適用可能な概念を社会にも適用しようとするものであるが、その由来を辿ると、もともと社会現象から生まれた概念を自然に適用したものなのだ。こうして精神と自然を媒介する第三の領域、社会が発見される。しかし、社会の概念が自然にも適用可なのは、社会もまた自然だからか?その逆か?2019/04/08

ラウリスタ~

6
流し読み。トーテム信仰が動物崇拝とはいかに異なるかとかそんなことが書いてある。わりと冗長な文章。2014/10/26

はやー

1
7章の「マナ」概念が非常に魅力的で面白かった。どんどん話が広がっていって「だいたい全部マナじゃん!」みたいな感じになる。面白いことは面白いのだが、さすがに現代では否定されてるのかな?2018/06/08

井蛙

1
最も原初的な社会形態である氏族社会において見られるトーテミスムこそが宗教の初期形態であること、そこから宗教の本質を取り出すことがデュルケームの目論見である。トーテミスムの宗教的本質としての聖性は氏族の成員、トーテムに採用された動植物、そしてなかんずくトーテム記章が有している。この聖性の非人格的な神性はトーテム種の内在的性質に由来するものではない。むしろそれは社会の超個人的威力であるという。こうしたデュルケームの議論は宗教の一見すると非科学的な性格を余すことなく科学的説明に還元することを狙っている。2018/01/27

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