ちくま学芸文庫<br> 存在と無―現象学的存在論の試み〈2〉

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ちくま学芸文庫
存在と無―現象学的存在論の試み〈2〉

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  • サイズ 文庫判/ページ数 570p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480091079
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C0110

内容説明

人間の意識の在り方(実存)を精緻に分析し、存在と無の弁証法を問い究めた、サルトルの哲学的主著。フッサールの現象学的方法とハイデッガーの現存在分析のアプローチに依りながら、ヘーゲルの「即自」と「対自」を、事物の存在と意識の存在と解釈し、実存を捉える。20世紀フランス哲学の古典として、また、さまざまな現代思想の源流とも位置づけられる不朽の名著。2巻は、第三部「対他存在」を収録。他者の存在をめぐって、私と他者との相剋関係を論じた「まなざし」論をはじめ、愛、言語、無関心、欲望、憎悪、マゾヒズム、サディズムなど、他者との具体的な諸問題を論じる。

目次

第3部 対他存在(他者の存在;身体;他者との具体的な諸関係)

著者等紹介

サルトル,ジャン=ポール[サルトル,ジャンポール][Sartre,Jean‐Paul]
1905‐1980年。パリに生まれ、高等師範学校に学び、哲学の教授資格を取得。1930年代から独自に現象学を研究し、『自我の超越性』『想像力』『情動論粗描』などを発表。戦後教壇を去り、「実存主義はヒューマニズムか」と題する講演で一躍マスコミの脚光を浴び、実存主義ブームを巻き起こす。在野の知識人として、小説、文学評論、政治論文と幅広い執筆活動を行う。1964年にはノーベル文学賞を辞退

松浪信三郎[マツナミシンザブロウ]
1913‐1989年。早稲田大学大学院哲学科修了。1957‐1984年早稲田大学で教鞭を執る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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ソラヲ

8
「他者論」と聞いて「相手も自分と同じ対自として尊重しましょう」的な倫理学なのかと思いきや、寧ろ他者の「まなざし」のもとに他有化され即自に貶められないように自分も「まなざし」を相手に向け返してやれ、みたいな自由を巡る闘争の話だった。けっきょく羞恥や自負、すなわち即自であることを甘受している状態に止まり続けていては強くなれないということか……そして他有化からは決して逃れられないのだから、その承認に対して「私が」責任を持たなければならない、というところで初めて自由と責任が結びつく。Ⅲの前にハイデガーを読まねば。2016/07/12

またの名

7
欲情中の人や欲情させる尻の動きを真面目に哲学する第二巻。サルトルによると誰かの眼差しは、人影が見当たらずとも揺れるカーテンや閉じた窓の背後に気配を想定され、もろもろの態度や要素や道具の複合に目的を与え組織化する中心。私の眼差しが自分の存在を安定させてくれる他人の眼差しを求めて見つける時、相手は「そのまわりに世界のすべての道具-事物が単なる手段として配置される」絶対的な中心=最高目的になる。他人の自由が自ら進んで自由に私に屈することを望む愛の変化形として、サディズムは相手が自身を自ら裏切る屈服の瞬間を追求。2023/02/01

ジョンとらぼるた

6
「他者のまわりに寛容を実現することは、他者を、しいて一つの寛容な世界のなかに投げこまれるようにさせることである。それは、勇敢な抵抗、辛抱強さ、自己主張など、寛容でない世界の内において彼が発展させえたかもしれないそれらの自由な諸可能性を、原理的に、彼から除き去ることである。…幾つかの原理や価値をア・プリオリに選択し、この原理や価値の名において…とりあつかうことになるであろう。それゆえ、他者の自由の尊重とは、一つの空しいことばである。」480果てなくかっこいい。がどこか切なく、虚しくなってくるのは何故だろう。2013/04/02

テツ

4
「対自は 何ものでもないものによって、即自から切り離されている。対自はあらゆる否定性の根拠であり、あらゆる関係の根拠である。対自は関係である」 『存在と無』の二巻。他者についてまとめられている。サルトルについて学んできた時間は長いし何度も読んでいるけれど、何故彼の他者論はこんなに切なく悲しくなるんだろう。サルトルの著作について文学的な捉え方をしすぎていると指摘されたことがあるけれど、結局実存主義的な思考への思い入れが強すぎて冷静な読み方ができていないんだと思う。これは矯正しなければならないですね。2015/11/09

井蛙

3
著者は他者を対自に還元することのできない固有の構造として明らかにする(対他存在)。他者はまなざしとして現れ、私を凝固させる。この私の他有化に対して私は他者をまなざし返すことによって対抗する。この私と他者の相克は身体の次元で現れる(私は身体を存在する/私の身体は他者にとって道具である/私は道具的存在としての私の身体を存在する)。ところで私は他者の自由を自らに総合することがけしてできない。他者の自由は手にした途端対象化してしまうからだ。そこからマゾヒズム/サディズム/憎悪という三様の絶望的な試みが生起する。2018/05/17

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