内容説明
精神病理から人間存在の本質にいたる思索をさらに深め、分裂病者にとっての「他者」の問題を徹底して掘り下げた木村精神病理学の画期をなす論考。ハイデッガー、西田幾多郎らに加え、デリダ、ラカン、レヴィナスなどの構造主義と正面からわたり合い、自己と他者との関係のありかたを「あいだ=いま」という本質的な項を媒介として見つめ直す。研ぎ澄まされた治療感覚をもって、患者の生き方を知覚し、治癒をめざして真摯な長い対話を重ねる著者の思策と営為。今、「臨床哲学」の地平が開かれる。
目次
あいだと時間の病理としての分裂病
他者の主体性の問題
自己と他者
家族否認症候群
精神医学における現象学の意味
直観的現象学と差異の問題―現象学的精神医学の立場から
危機と主体
離人症における他者
内省と自己の病理
自己の病理と「絶対の他」
現象学的精神病理学と“主体の死”―内因の概念をめぐって
境界例における「直接性の病理」
離人症と行為的直観
分裂病の治療の関して
著者等紹介
木村敏[キムラビン]
1931年、旧朝鮮生まれ。1955年、京都大学医学部卒業。京都大学名誉教授、河合文化教育研究所主任研究員。専攻、精神病理学。1981年に第3回シーボルト賞、1985年に第1回エグネール賞、2003年に第15回和辻哲郎文化賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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うえ
6
「われわれに最後に残された問題は、自己および他者の主体性の問題である…主体性の問題を扱った禅の公案として、『碧厳録』の、迎山慧寂と三聖慧然との問答がある…西谷も指摘していることだが、古来いかなる文化においても、名前と主体とのあいだには不可分の関係がある。万葉の時代には、相手の名を問うということは求婚の意味をもっていたし、戦の場では互いに名乗りあうことによって名誉ある人格どうしの一騎討ちが宣言された。われわれはまた、レヴィストロースが報告しているナンビクワラ族の、名前に関するタブーのことを思い出してもよい」2021/09/01
マープル
4
精神科医でもあり、また哲学者といってもいいであろう著者の論文集。「あいだ」という概念を鍵にして、精神医学の世界から人間存在の核心へと突き進む強靭な思索力にはいつもながら圧倒される。他者とは何か、わたしとは何か、そして人間とは何か。異常と呼ばれる状態を経由することで、自明と思われているものごとの「ありえなさ」が明らかにされる。2009/09/21
Masabumi Shirai
2
ハイデガーやラカン、西田幾多郎、フッサール、 道元の正法眼蔵や、カントの純粋理性批判など読んでから読むと更に理解が深まるので、また読もうと思う。2019/11/30
yozora
2
ラカンを乗り越えてるところがよかった。こういう根本的な分析とそれにともなった明瞭な叙述があると、分裂症理解に関して一歩接することができるように思う。2014/06/17
じめる
2
「いま・ここ」という自己が絶対的な他者の存在に支えられているのか、また他があって他ならざるものとして自己があるのか、アプローチの仕方が違っていて面白かった。また実際の症例に即して具体的に考察して書かれている箇所は純粋に哲学者などの思索を辿って自己と他者の関係を考えていく部分よりも読みやすく良かった。同著者の書いたものをもっと読まないと理解しにくいところも多々あったかな。また他のも読んでみます。2013/01/10