ちくま学芸文庫<br> 映像の修辞学

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ちくま学芸文庫
映像の修辞学

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  • サイズ 文庫判/ページ数 162p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480089366
  • NDC分類 778.04
  • Cコード C0110

内容説明

イメージは意味の極限である。映像=イメージをめぐる3つのテクスト(2篇の論文と1篇のインタヴュー)が1冊に。広告写真からいくつもの記号を掬い上げ、イコン的なメッセージと言語的メッセージを丹念に読み取ってみせる「イメージの修辞学」。報道写真やグラビア写真などを取り上げ、フォトジェニックな構図・手法、テクストとの関係を記号学的に論じる「写真のメッセージ」。作品の意味が宙吊りになる魅力についてブニュエルの「皆殺しの天使」を引きながら闊達に語る「映画について」。イメージから記号を読み取る鮮やかな手つき、言葉の持つ官能性を存分に味わえるロラン・バルトの独壇場。

目次

イメージの修辞学―パンザーニの広告について
写真のメッセージ
映画について―「カイエ・デュ・シネマ」誌によるインタヴュー
ロラン・バルトまたは複数化する断片(蓮實重彦)

著者等紹介

バルト,ロラン[バルト,ロラン][Barthes,Roland]
1915‐80年。記号のシステムとしてのテクスト分析により、それまでの批評言語を刷新し、現代思想に計り知れない影響を与えたフランスの批評家。当初、“社会的神話学”から出発し、“記号学”“テクスト性”“モラリテ”の時代を経て、テクストの快楽の実践へと至った。1980年、名声の絶頂期に交通事故により死去

蓮實重彦[ハスミシゲヒコ]
東京大学大学院博士課程修了。東京大学名誉教授

杉本紀子[スギモトノリコ]
東京大学大学院博士課程修了。和光大学表現学部教授。専攻、フランス文化(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Aster

61
初見は意味不明だったが、じっくりと同じところを何度も読むことでかなり理解出来た。構造主義に厳密に対応するかは定かではないが、記号学が構造主義の系譜の中で語られる意味は分かる。広告についての考察は非常に示唆的であるし、イメージの様々なシュポールに可能性を感じさせる。「映画について」については、たまたま(?)家に「皆殺しの天使」があったので読了した後に鑑賞した。なるほど意味を宙吊りにさせるとは上手い表現だ。ブニュエル作品をシュルレアリスムのみのフィルターを通して鑑賞するのは勿体ないと思う。2020/04/14

ヴェルナーの日記

53
はっきりといえば、とても難解な内容だ。言語における修辞(シニフィエとジニフィアンの関係性)だけでも、数多くのバリエーションが存在する。それを映像まで拡げるとなると何十・何百以上というほどのバリエーションにまで拡張することだろう。そして、その一つ一つを解析し、評論するとなると、膨大な労量が必要であり、、これが、一本の映画ともなると、想像も出来ないほどの修辞(シニフィエとジニフィアンの関係性)が発生することになる。2015/05/30

燃えつきた棒

35
訳者の欄に蓮実重彦の名前を見つけたときから、本書は僕には理解し難いのではないかと予想していたが、案の定取り付く島もない感じだった。 蓮実氏の難解で高踏的な文章とは、とことん相性が悪い。 単に理解不能というにとどまらず、どうかすると読んでいるうちにだんだん腹が立って来ることがある。 今回は、そこまでではなかったが、残念ながら三球三振てあることに変わりはない。 引用したくなるような文章とて、一つとしてなかった。 【実のひとつだになきぞ悲しき】という感じだ。/2021/10/30

しゅん

21
論理の追いつけなさに「ソシュールを読み直せ」という言葉を聞き取ったが、それはともかく感じられるのは言葉の扱いにおける厳密さ。バルトはイメージのコアを伝えるための修辞のあり方に対して、綱渡り師のような注意深さを発揮しているし、映画と演劇をアナロジーで語れないという箇所などにもよく表れている。別のバルト訳の誤訳から訳者のイメージ破壊への無頓着さをあげつらねる蓮實重彦の意地悪な面白さがやはり天下一品。2017/12/11

あ げ こ

13
〈バルトは、このパンザーニのコマーシャル・フォトが楽しくてならないのだし、また、大統領主催のランブイエの猟の報道写真が面白くてならないのだ。〉〈バルトはその官能的な断片との戯れを快楽として玩味しているのである。〉やはり快楽的に読む。そして「ロラン・バルトまたは複数化する断片」を読み、誘われるようにまたすぐに読み返す。あまりにも魅惑的な導き手であるその文章。〈いかなる場所にもとどまるまいとする欲望を欲望しつつあるその場所をもあえて抹殺しようという欲望〉〈全体化される契機を見失ったままあたりにたちさわぐ断片〉2021/07/31

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