内容説明
ロレンス畢生の論考にして20世紀の名著。「黙示録」は抑圧が生んだ、歪んだ自尊と復讐の書といわれる。自らを不当に迫害されていると考える弱者の、歪曲された優越意思と劣等感とを示すこの書は、西欧世界で長く人々の支配慾と権力慾を支えてきた。人には純粋な愛を求める個人的側面のほかに、つねに支配し支配される慾望を秘めた集団的側面があり、黙示録は、愛を説く新約聖書に密かに忍びこんでそれにこたえた、と著者は言う。この隠喩に満ちた晦渋な書を読み解き、現代人が他者を愛することの困難とその克服を切実に問う。巻頭に福田恒存「ロレンスの黙示録について」を収録。
目次
ロレンスの黙示録論について(福田恒存)
黙示録論―現代人は愛しうるか
附録 ヨハネ黙示録
訳註
著者等紹介
ロレンス,D.H.[ロレンス,D.H.][Lawrence,David Herbert]
1885‐1930年。イギリスの小説家、詩人。炭坑夫の息子に生まれ、苦学して大学を卒業、教師となる。11年、処女小説「白孔雀」を出版。大学時代の師の妻と恋に落ち大陸に駆け落ちしたが、のち帰国して結婚。第一次世界大戦後再び祖国を去り、晩年を放浪に送る。南仏ヴァンスで歿。「チャタレイ夫人の恋人」「息子と恋人」など多くの小説を残した
福田恒存[フクダツネアリ]
1912‐94年。東大英文科卒業後、雑誌編集者、大学講師などを経て文筆活動に入る。戯曲、評論など著書・訳書多数
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感想・レビュー
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優希
88
愛を説く新約聖書の中において異色の書であることは言う間でもないでしょう。支配と被支配の集団的な抑圧が福音に満ちた書の中に潜んできたという考えは非常に興味深いところです。終末におけるキリストの再来と救済という面ではなく、自尊心からの歪みと復讐の書と位置付けて述べているというのは新鮮な視点でした。いくらでも解釈の仕方がある黙示録という文学は、聖書の中にある限り、惹きつけるものがありますね。2017/07/11
zirou1984
37
副題は「現代人は愛しうるか」だが、死を直前に執筆したロレンスの結論は「愛することはできない」という断言で思わず苦笑い。本論はニーチェの唱えるルサンチマン批判からの聖書読み直しであり、そこに潜む弱者の羨望や権威欲とキリスト教が排除してきたはずの異教性を喝破する。実際、キリストがユダを必要とするように旧約的な志向を持つ黙示録は新約に必要とされ、その歪な選民的集団自我は現代の私たちも変わらず持ちうるものなのだ。愛の隘路の問題にロレンスは答えない。が、福田恆存の優れた解説は僅かながら確かな道筋を残してくれている。2015/07/30
yutaro sata
30
黙示録の直接の話というよりかは、福田さん及びロレンスの、近代というものの捉え方、個人が個人たりえようとすると、国家や家族、恋人など、諸々の結合に我慢がならなくなるという話の方に感銘を受けた。誰かに愛されるということは、その人に搾り取られるということを意味し、個人が個人たりえなくなってしまう、という話など、私がとことんまで内面化しているのはこの「個人」というものなのではないか、と思うなど。 ロレンスと近い問題意識を抱えていたのは、時代が近いこともあって、漱石になるのではないだろうか。そんなことも思った。2023/07/27
やいっち
15
内容案内によると、「「黙示録」は抑圧が生んだ、歪んだ自尊と復讐の書といわれる。自らを不当に迫害されていると考える弱者の、歪曲された優越意思と劣等感とを示すこの書は、西欧世界で長く人々の支配慾と権力慾を支えてきた」とか。多くの感想に見られるが、ニーチェ的なルサンチマンの書のように感じている。キリスト教の宗教思想の根幹にかかわる。けれど、黙示録はユダヤ人が記したものではないのか。2017/02/15
テツ
14
ロレンスが死の間際に書き上げた黙示録についての考察。ニーチェが説くルサンチマンのように(それを意識して書かれたのは明白であるけれど)、自分や自分が属する集団が理不尽に批判され迫害されていると妄想してしまい生まれる『弱者』による歪な選民思想と劣等感。そしてある種の優越的な帰属意識という物への批判。黙示録自体、クリスチャン自体に対する批判を通じ読者である我々に突き付けられる余りにも大きな問題。現代人は愛しえない。さあそれを踏まえて我々は、『私』はどう生きるべきか。近いうちに再読したい。2016/09/26
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