内容説明
一度書かれてしまった言説(ディスコース)は、筆者の意図とテクストが乖離し、筆者によって生きられた有限な地平を逃れ出る。本書は、その言説が他の言説と関係を持つことを「事件・出来事」としてとらえ、「徂徠学」というモダニズムの「大きな物語」の終焉の内で露呈した諸問題の核心を問い、徂徠の言葉から再構成された現代の物語「思想史」の虚構を脱構築する。解体と再構築という絶えざる往還運動からのみ立ち現れる日本思想史の新たなる方法論的視座。
目次
「事件」としての徂徠学への方法
「思想史」の虚構
「事件」としての徂徠学
「有鬼」と「無鬼」の系譜
荻生徂徠と津田左右吉の間
二つの『論語』あるいは二つの「古え」
命名と制作―「弁道」という作業
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
MrO
1
丸山批判で始まるので、それだけだと受け取る勘違いや、丸山批判の是非でこの本の価値を決める悲喜劇も起きているが、正直、この章なんてあってもなくてもいい。思想を開かれた対話の場に持ち出した子安さんの真骨頂である。ちなみに、丸山眞男も、私は対話が一番面白いと思っている。読みながら、例えば、数学の問題が解けたときに、それを他人に論理で分からせる方法を考えていた。もちろん、論理でわかったからと言って、問題が解けるようになるわけではない。解けると分かるは反対の作用だからだ。偉大な数学者の跡を辿るしかないってことだ。2017/02/13
おっかー
0
徂徠が為した公私の分離を、個人道徳と内面の解放と位置づける丸山の図式に対して、筆者は批判をくわえる。これは丸山の「物語」であると。しかしそもそも、公私の分離の帰結として内面の解放が導き出されるのは自然であって、そのなかで個人道徳の解放という点だけをもって丸山を論駁するのは的はずれである。丸山批判という物語に囚われている。2014/11/25
tkm66
0
色々な意味で目を眩ませられる著者。ホントっぽかったり、眉唾だったり、カミさんがユング学者だったり。2002/01/30




