内容説明
いま子どもたちのからだは追いつめられている。演出家として演劇創造・療育に長くかかわり共に生きるための「人間関係としての授業」を追求し続けてきた著者による教師論。どのように声を届かせるか、三角座りがいかに拘束するか、また学級崩壊、不登校…いま教師と教育が抱える問題を生の「からだ」と「ことば」から考える待望の書。
目次
はじめに(むかつく少年―近代身心二元論終焉の風景;からだの反乱・1982年)
からだが語ることば
人が人へ話しかけるということ
人が人に働きかけるということ
ひとりひとりを「生かす」というコトバ
学校という建物はだれのためにあるか?
からだは常に語っている
からだを「見取る」こと
断章一つ(「からだから見た教育」より)
表現への出発
対談・働きかけとしてのことば
おわりに(スタート台の手前・1998年;他者に出会うということ―この15年)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うりぼう
74
教師ほど辛い職業はないことが判る本。この本を読んでも教員でなく教師になるんだと決意できる人は、すごい。制度としての体しか持たない人が、子どもたちの反乱する体を前に何ができるのだろう。自分の体すら持て余して、心の病に倒れる屍が累々としている。自分を劈くことができる教員を一人でも多く生み出す仕組みが必要なとき、それを伝える彼はすでに亡く、誰が導くのか。せめて、教員にアレクサンダー・テクニークを学んでほしいと思う。自閉や多動の子は、成長の遅れではなく、感覚がむき出しで、恐怖に満ちている。丸ごと受けめる力が欲しい2010/05/06
クレソン
8
素晴らしい。言葉にしなくてもからだや声はその人自身を表している。言葉に頼りすぎている私には胸にしみる。耳が痛い。もっと著作を読もうと思います。2010/02/22
Honoka
7
「相手の中でどういうものが育っていて、それにどういう道筋を見つければ、それが引き出されてくるか、わからないなりに手をかける」って、大切だけどとても難しいことなんだよなあ、と思った。あと、言葉によるコミュニケーションを盲信していたなあ、「からだ」と話し「ことば」について考えさせられた。それと、他者、すなわち生徒を自分の枠内の生徒像に当てはめてはいけないね。でも、実際にそれができていないだろうし、本当に難しい。やってみようとしてできるものか分からないけど、わからないなりにやってみるしかない。2019/05/01
愛奈 穂佳(あいだ ほのか)
6
【ココロの琴線に触れたコトバ】だから私にとっては、話す声がそのまま歌う声であるべきで、歌うときには特別な声を出すなどということは、歌を殺すことでしかない。もちろん、専門の声楽家は話は別です。しかし、普通の生活者にとっては、特別な歌の声などはないし、声がはすめばからだもはずむ、つまり歌は身振り、あるいは踊りと一つのものです。2014/12/19
Kamogawawalker
2
他者と出会い、話しかけ、ふれあい、自分をひらいていく、その根元のところに、からだ、そして、それに支えられたことばがあるのだということが、教育をテーマにしながら綴られています。『「呼びかける」とは、実は、呼ばれていることに応えることなのだ』。他者と出会うことがそうであるなら、呼んでいる他者とは、また、呼ばれているのは、いったい誰なのか、ということにも想いは巡ります。からだをとりもどすための身体技法なども、学びたいと思いました。2013/11/06