ちくま学芸文庫<br> 「ヒューマニズム」について―パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡

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「ヒューマニズム」について―パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡

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  • サイズ 文庫判/ページ数 398p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480083524
  • NDC分類 134.9
  • Cコード C0110

内容説明

『存在と時間』(1927年)において、世界内存在する人間の実存を深く掘り下げ、これを現象学的解釈学的に精緻に分析して、哲学界に深刻な衝撃を与えたハイデッガー。そのハイデッガーが、第二次世界大戦を挟む長い沈黙を破り、書簡体の形式で世に問うたのが、この「『ヒューマニズム』について」(1947年)だった。いわゆる人間中心主義の「ヒューマニズム」を批判しながら「存在の思索」を説くこの小さな本には、後期ハイデッガーの思想が凝縮した形で表明されている。「故郷喪失」の現代の「世界の運命」のなかで、私たちは存在の「開けた明るみ」の場のうちに「住む」ことを学び直さねばならない、と。

目次

1 凡例
2 本文―「ヒューマニズム」についてパリのジャン・ボーフレに宛てた書簡(存在の思索の提起;ヒューマニズムに関する批判的考察の開始;人間の本質の規定;存在の人間への関わり;故郷喪失の運命;ヒューマニズムの真の意味;存在の思索を非人間的とする誤解の反駁;論理学・価値・世界内存在・無神論・有神論に関する誤解の反駁;存在論・倫理学を超えてエートスの思索へ;存在論・倫理学を超えて存在の思索へ;存在の否む働きと無;存在の思索と言葉)
3 訳注
4 原文校訂注
5 解説

著者等紹介

ハイデッガー,マルティン[ハイデッガー,マルティン][Heidegger,Martin]
1889‐1976年。フライブルグ大学で、フッサールの現象学研究から決定的な影響を受ける。1927年に『存在と時間』を刊行、その「存在への問い」は哲学界に深刻な衝撃を与えるとともに、20世紀思想の方向を決定づけるものとなった。1935年、形而上学の克服の試み『形而上学入門』を刊行。第二次世界大戦を経過したのち、「存在の思索」を深化させながら、『言葉の途上で』「時間と存在」論など世に問うた

渡邊二郎[ワタナベジロウ]
1931年生まれ。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

しゅん

16
第二次世界大戦直後、フランスの哲学者に対する返答として書かれた本著を読むと、ハイデガーのナチス的資質は戦後も決して変わっていないことに気付く。人間と動物を決定的に分かつものは、存在者に先立つ「存在」を守る「思索」と「詩作」の能力であり、「存在」こそが故郷を失った人間を導く本質的な善であるという論は、本質を頑固に措定する点においてファシズム的だ。だが、おそらく誰も理解できていない「存在」の意味を未来の可能性へと転送すれば、未来を守るための言葉の必要性が急にリアリティをに帯びる。この強烈な両義性。2018/02/01

左手爆弾

9
このような本を「深淵だ」などと評するのはたやすい。しかし、それでは実のところ何の「思索」にも繋がらない。とはいえ、ハイデガーを持ち上げたいわけではない。むしろ、一生懸命頑張っているが、いかんせん虚しい努力に見えてしまうというところが正直な感想だ。言葉を論理から解放し、思索と詩作によって別な次元に...というモチーフが繰り返し語られている。しかし、それは今日では「ここではないどこか」を目指すナイーブな感傷、ロマン主義に過ぎないのではないか。「哲学」批判の強度をいくら上げてもそれは変わらない。2017/05/27

Z

6
これだけでは何とも言えない。『存在と時間』の註釈として読むべきかと。『存在と時間』では基礎的存在論として存在とは何かを問う人間とは何かを考えた。これから人間を中心に考えるサルトルが出てきたが、これはハイデガーの思想とは異なる。プラトン以来、存在を存在者(あるもの)の類概念として考えてきたがプラトン以前の自然哲学の頃へ戻り存在者に媒介されない存在それ自体を考えること。人間は存在へ開かれており、存在に触発され思考し、発語が生まれる。言葉は人間の住みかであると、正直説得的でない形で言われる。存在者を媒介せず存在2018/04/11

Bevel

5
ハイデガーの魅力的なところは、人をもの書きへと変化させるところにあるのかもしれない。彼によるならば、「非本来的に」日常をおくる僕らは、遠くて近い大切なものを忘れている。大切なものは歴史的だし、真理そのものでもある。もし人間が、大切なものへと「身を開き―そこへと出で立つ」のであれば、大切なものはその人の「言葉」にこそ到来する。あなたは書くことでしか、自分が本来的であることを示せない。もし、たくさん書けるなら、あなたはその分選ばれていることになる。2013/06/14

くれは

2
主な感想はこっちに書いた:https://bookmeter.com/reviews/100329731  ハイデガーのいう「存在」は、なんとなく仏教でいうところの「如」を連想させるところがあった。 2021/08/12

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