内容説明
凉秋九月月方ニ幽ナリ―平安文化の最後に大輪の花を咲かせ、その終焉をも見とどけた藤原定家。源平争闘の中に青春期を持った彼は、後半生でもまた未曾有の乱世に身をおかねばならない。和歌を通して交渉のあった源実朝の暗殺、パトロンであり同時に最大のライヴァルでもあった後鳥羽院の、承久の乱による隠岐配流。定家の実像を生き生きと描きつつ、中世動乱の全容を甦らせる名著。続篇は定家壮年期から八十歳の死まで。
目次
続篇の序
公卿補任
歯取リノ老嫗ヲ喚ビ、歯ヲ取ラシム
遊芸人と天皇
天下ノ悪事、間断ナシ
幕府歌会
明月記断続
拾遺愚草完成
源実朝〔ほか〕
感想・レビュー
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みつ
27
この続篇も、初版発行以来折にふれて手にしてきた。ただし、定家五十歳、公卿に任ぜられて以降のこの時期は、それまでの絢爛たる人工美の極致たる歌が影をひそめているようにも見える。承久の乱前後を中心に『明月記』の記述も欠けることが多く、著者は他の文献にも依拠しながら、乱世における王朝文化の終焉を繙いてゆく。とりわけ衝撃的に映るのは、「紅旗征戎非吾事」の文言が、41年を経て六十歳の定家の文に再び現れるくだり(p159〜160)。さらに後鳥羽院隠岐配流の後の『新勅撰集』で、武家の世への変遷が残酷なまでに明らかになる。2025/02/13
ロビン
20
藤原定家47歳~74歳まで(72歳で出家、80歳で死去)の明月記に堀田善衛が伴走する。承久の乱が起こり、縁浅からぬ後鳥羽院が隠岐に配流となるも、定家は息子為家(室が『十六夜日記』で知られる阿仏尼)を北条時政の孫と結婚させたりしてうまく立ち回り、乱の以後出世を重ねて公卿となり最終的には念願の権中納言にまで昇進した。強盗殺人が日常化した治安の悪い京にあって、邸宅は被害に遭わず、さすがに年に勝てず病気で苦しんではいるが、しっかり出家もして長い人生を命冥加に生き抜いたのだから万々歳であったろう。執念を感じる人だ。2022/05/15
風に吹かれて
16
様々な知見に富んだ作品だった。私が日本史に疎いこともあると思うけど、後鳥羽院は承久の乱で隠岐に流され、そこで19年の歳月を生きたわけだが、40歳ぐらいまで権力をほしいままにしたと考えると、凄まじいものだと思うし、現在に至っている『源氏物語』は定家の書写があったればこそ、だそうだけど、そういう観点からしても定家はとても大切な人だったと思う。それにしても、年表を見ると、定家が生きている間に30回ぐらい年号が変わっている。年号から西暦を類推することは私は全くできないけど、当たり前ですね。素敵な作品である。2018/11/12
きさらぎ
7
承久の乱前後。衰退する王朝と武家の興隆という社会構造の大変化、秩序の崩壊。飢饉に盗賊、放火に殺人と無法地帯と化した京では、邸内にまで死臭が漂い、山積の死体で輿も進められない。輿を担ぐ使用人も途中で餓死。その中での定家の「紅旗征戎吾事ニ非ズ」は、要はノンポリ(死語)なのだなあと思った。言葉の重みはその程度だ。慈円や長明のように時代の道理など考えない。家を守り家学(歌)を固守し昇進に固執し、息子に武家の女を迎え荘園経営・家格維持に勤め、ひたすら世を渡り八十歳で大往生。世渡下手なイメージがあったがとんでもない。2017/08/26
やいっち
7
承久の乱の時代、後鳥羽上皇が流された時代などを中心に、公家政権から武士の世の中への激変のなか、定家は日記に日常を綴っている。彼は、天皇ほどではないが、27人もの子供を作っている。その精力たるや! 愚痴の連続なのに! とにかく、宮中での生活が分かって実に面白い。再読してよかったよ。2015/12/16
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