内容説明
ヨーロッパ古代世界に最大の版図をもち、多年隆盛を誇ったローマ帝国はなぜ滅びたのか?この「消えることのない、永遠の問い」に対する不朽の解答―18世紀イギリスの歴史家E・ギボンの名筆になる大歴史書の完訳。1453年オスマン・トルコのメフメット二世による猛攻の前に、さしものコンスタンティノポリスも陥落し、東ローマ帝国は滅亡する。大著全10巻の完結巻。
目次
第64章(シナからポーランドにかけてのチンギス・ハーンとモンゴル人の征服;コンスタンティノポリスとギリシア人の無事 ほか)
第65章(ティムール、別名タメルランのサマルカンドの帝位就任;彼によるペルシア、グルジア、タタール、ロシア、インド、シリアそしてアナトリアの征服 ほか)
第66章(東ローマ皇帝の教皇への請願;パラエオログス王朝のヨアンネス一世、マヌエル、ヨアンネス二世の西方訪問 ほか)
第67章(ギリシア人とラテン人の間の宗教分離;ムラート二世の治世と性格 ほか)
第68章(メフメット二世の治世と性格;トルコ人によるコンスタンティノポリスの攻囲、攻撃と最終的征服 ほか)
第69章(十二世紀以降のローマの状態;歴代教皇の現世的な支配権 ほか)
第70章(ペトラルカの性格と戴冠;護民官リエンツォによるローマの自治と統治の復興 ほか)
第71章(十五世紀のローマの廃墟の展望;衰退と破壊の四つの原因 ほか)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
アミアンの和約
22
ついにメフメト2世によりコンスタンティノープルは陥落。コンスタンティヌス1世から数えて1千余年、最後もコンスタンティヌスで終わるとは皮肉なものである。これだけの大著を書いたギボンの労苦もそうだが、訳者のそれも同じくらい忍ばれる。特に本シリーズは中野好夫氏から始まり、中野氏が亡くなると朱牟田夏雄氏が引き継ぎ、朱牟田氏も亡くなると、中野好夫氏の長男である中野好之氏が完成させた。3代に渡る訳者リレーには、色々な物語があったろう。そこに思いをはせるのもまた一興ではなかろうか。あとがきも含めて是非読んで欲しい。2023/04/30
刳森伸一
5
最終巻は、東ローマ帝国滅亡の遠因となったモンゴル人の覇業に始まりオスマン・トルコの歴史、そしてコンスタンティノープル陥落を描き、さらには12世紀から15世紀までのローマ(都市としてのローマ)の状況を確認し、結語となる。ギボン自身はローマ滅亡の要因を一つに定めておらず、複合的なものとみている。そしてその複雑さを、この膨大な『ローマ帝国衰亡史』で情熱を持って描いたのだと思う。長かったが読んで良かった。 2017/02/12
かわかみ
1
チンギスハーンの征服と並行して、オスマントルコが興隆した。ティムール率いるモンゴルはペルシャ、インド、ロシア、シリアなどを征服し、トルコも屈服させたがティムールの死とともに彼の帝国は解体に向かう。オスマン帝国が復活した頃、火薬が発明された。メフメット二世のトルコが1453年にコンスタンティノープルを陥落し、ビザンチン帝国は滅亡した。西欧諸国には十字軍の熱情は失せており、これを傍観した。総括として、ギボンはローマ帝国衰亡の主要な原因を4つ挙げるが、その最大はローマ市民自身の内部抗争だと指摘する。2021/09/05
Cinejazz
1
ギボンがカピトリ-ノ神殿の廃墟の間に立った時、ローマ帝国衰亡史の著述の構想を最初に抱いたと言う。 「なぜ、ロ-マは滅びたか?」・・・権力者の怠慢と政治の腐敗、ローマ軍の弱体化、キリスト教の浸透、蛮族の侵入などの要因が複合し、人間の栄枯盛衰の定めと共に帝国が衰退していった。・・・これが読後に抱いたローマ帝国衰亡への想い。2017/11/20
Orange
1
ようやくこの大作を完結まで読み終える。コンスタンティノポリス陥落でおわりかとおもったら、最後の三章は十二~十五世紀のローマに割かれていた。やっぱ、最後はローマ抜きには終われなかったんだろーなー。この作品が書かれた十八世紀の(今の時代からからしたら)限られた史料で、よくもまぁこんなの書けたな、というとこも含めてギボンさんすごい。2015/04/03